源龍院跡(読み)げんりゆういんあと

日本歴史地名大系 「源龍院跡」の解説

源龍院跡
げんりゆういんあと

[現在地名]高野町高野山

西院さいいん谷の北西部にあったが、現存しない。文化一〇年(一八一三)高野山細見絵図では、大門前の東西通り(現大門通)の北側に西から延寿えんじゆ院・観音院・不動院・宝厳ほうごん院・来迎らいごう堂・智荘厳ちしようごん院などが描かれ、源龍院は宝厳院の北側に記される。本尊阿弥陀如来(伝恵信僧都作)開基は不詳。中興純房栄義(阿波国出身)天文―永禄年間(一五三二―七〇)に木食快真が住職の時、行人方から学侶方へ所属を変更、院領を定められたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む