滝沢銀山跡(読み)たきざわぎんざんあと

日本歴史地名大系 「滝沢銀山跡」の解説

滝沢銀山跡
たきざわぎんざんあと

[現在地名]新穂村大野・青木・北方

大野おおの川と新穂川の上流域にあり、大野・北方きたがた青木あおきの山々に旧坑道跡が多く残る。大野銀山・青木金山・新穂銀山などとも称する。天正(一五七三―九二)頃に滝沢銀山の採掘があったといわれる(佐渡金山史)。「佐渡名勝志」には慶長―元和(一五九六―一六二四)の頃に新穂銀山が請山となるとある。慶長年間に山師味方但馬が佐渡に渡り、相川あいかわ金山とともに当銀山の開発に努めたといわれる。安政六年(一八五九)の新穂村銀山惣敷絵図(新穂村史)には、大野川上流の清水せいすい寺前の沢に白土・大師大船・八貫目・兵庫・伊藤など二十数ヵ所の坑道名が記され、新穂川上流青木の大工沢だいくざわにも百枚間歩の坑道名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む