日本歴史地名大系 「滝畑村」の解説
滝畑村
たきのはたむら
文禄三年(一五九四)一二月には当村二三一石余が北条氏規領(北条家文書)。正保郷帳の写とみられる河内国一国村高控帳では高二三一石余。同帳には「同人知行所」とあり、同人とは石川主殿(近江膳所藩)をさすが、北条氏(狭山藩)の誤りと考えられる。ほかに膳所藩領山年貢高六三石が記される。以降、高・領主とも変化なし。寛永一〇年(一六三三)には高二三一石のうち七〇石余が永荒地(平井谷家文書)、延宝九年(一六八一)の家数八六(公事家六七・無足家一九)・人数五一九、牛六七(同文書)。
滝畑村
たきはたむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報