日本歴史地名大系 「潮嶽神社」の解説 潮嶽神社うしおだけじんじや 宮崎県:南那珂郡北郷町北河内村潮嶽神社[現在地名]北郷町北河内 潮嶽広渡(ひろと)川の支流、黒荷田(くろにた)川に沿う宿野(しくの)地区の南東部、字潮嶽にある。隼人の始祖とされる火闌降命および彦火火出見命・火明命を祀り、火闌降命を主祭神に祀る神社は全国でも珍しいとされる。伝承によると当地は、火闌降命(海幸彦)が弟の彦火火出見命(山幸彦)と争った時、満潮を利用して岩船で逃避した所といい、これが地名・社名の由来とされる。「日向地誌」によると古くは潮嶽大明神と号していた。明治五年(一八七二)田代の川上(たしろのかわかみ)大明神、黒荷田の大木(おおき)大明神、宿野の小鳥(ことり)大明神、坂元の三島(さかもとのみしま)大明神、昼野(ひるの)の昼野大明神、平佐(ひらさ)の山ノ神、黒山(くろやま)の加茂大明神の七座を潮嶽大明神に遷座合祀して北河地(きたがわち)神社と改称、のち現在の潮嶽神社に改めた。明暦三年(一六五七)の社殿再興棟札(社蔵)には大檀那として飫肥藩三代藩主伊東祐久の名がみえる。延宝四年(一六七六)には二斗の加増を受けて社禄は三石九斗となり(飫肥藩人給帳)、一三代藩主伊東祐相の分限帳(湯地家文書)では社禄四石九斗となっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by