北河内村(読み)きたがわちむら

日本歴史地名大系 「北河内村」の解説

北河内村
きたがわちむら

[現在地名]北郷町北河内

郷之原ごうのはら村の北西に位置する。北西の鰐塚わにつか(一一一八・八メートル)、南の小松こまつ(九八八・八メートル)など鰐塚山地の山々に囲まれた典型的な山村で、村の大半を森林が占める。鰐塚山南東麓を水源とする広渡ひろと(最上流域を本河内とよぶ)は、村北部の大戸野おおとんの山中から南流する黒荷田くろにた(小河内)坂元さかもとで合せ(黒荷田川合流後の広渡川を北河内川とよぶ)郷之原村へ向かう。本河内もんがわち筋に沿って板谷いたや槻河内つきのかわち(槻之河内)広河原ひろかわら黒山くろやま平佐ひらさ昼野ひるの・坂元、小河内こがわち筋に沿って山仮屋やまがりや・大戸野・田代たしろ・黒荷田・河原谷かわらだに曾和田そわた谷合たにあい宿野しくのの集落が点在する。飫肥おび城下(現日南市)から北上し、当村北東部の山仮屋関所を経て清武きよたけ(現清武町)に至る飫肥街道(山仮屋街道とも)、同城下から当地の黒山・板谷・矢立やたてを経て長田ながた(現三股町)に越え、都城に至る道(都城往還)が通り、藩領外とを結ぶ交通の要衝であった。寛文四年(一六六四)飫肥藩郷村高辻帳に村名がみえる。


北河内村
きたがわちむら

[現在地名]日和佐町北河内

日和佐浦の北に位置し、北に御世ごせ山がある。南部の深瀬ふかせ北河内谷きたがわうちだに川と赤松あかまつ川が合流し、南流する。南東部は恵比須えびす浜に臨む。慶長年間(一五九六―一六一五)のものと推定される国絵図に「北河内」、寛永(一六二四―四四)前期のものと推定される国絵図では「北河内村」とあり、また地内と考えられる「ふかせ村」「くもう村」が記載される。寛永一五―一八年頃の作製と推定される阿波国大絵図では深瀬村の辺りに朱による道(土佐街道)が記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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