瀬古泉村(読み)せこいずみむら

日本歴史地名大系 「瀬古泉村」の解説

瀬古泉村
せこいずみむら

[現在地名]東員町瀬古泉

穴太あのう村の西、員弁川の北に位置する。「五鈴遺響」には、この村の旧名小泉こいずみで、「神鳳鈔」に「和泉御厨内宮一石八斗、外宮三石」とあり、また「外宮神領目録」にも同様の記述がみえる和泉いずみ御厨をこの地であろうと推測している。しかし「神鳳鈔」には別に「二宮小泉御厨各三石」もみえ、これは新校群書類従本の同書奥書の注記に従えば、建久四年(一一九三)には伊勢神宮(両宮)領になっていたと推定しうる。ただこのいずれが近世の瀬古泉村につながるのかは確定しがたい。天正一二年(一五八四)頃の織田信雄分限帳に、生駒久三・安井勝三郎の知行地各八〇貫文・一〇〇貫文が「せこいつミ郷」の内で与えられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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