世界的な労働組合の連合体。2006年に解散し、国際労働組合総連合に合流した。略称ICFTU。
字義どおりに訳した日本語名称は「国際自由労働組合連盟」だが、これは正式名称としてほとんど用いられていない。1989~1991年のソ連・東欧での激変と冷戦体制の終焉(しゅうえん)によって、東側諸国の加盟が多かった世界労働組合連盟(WFTU。略称世界労連)が事実上崩壊したため、最大の勢力をもつ労働組合の国際的中央組織となった。第二次世界大戦後、マーシャル・プランを支持して1949年1月に世界労連を脱退したイギリス労働組合会議(TUC)、アメリカ産業別組合会議(CIO)、世界労連に加わっていなかったアメリカ労働総同盟(AFL)などが中心となって、同年11月ロンドンでの自由世界労働者会議と、それに引き続いて開かれた12月の創立大会によって結成された。
規約では、労働組合組織の諸権利の承認、自由な労働組合の設立・維持・発展、全体主義その他の反労働者的勢力に対する自由な労働組合の防衛、完全雇用の達成と労働条件の改善、自由な労働制度の擁護と強制労働の絶滅、人権保障、世界的集団安全保障体制の確立、全体主義あるいは帝国主義的侵略に対する世界民主主義と国家的自由の防衛など、16項目の目標を宣言している。しかし創立後の実際の活動では、反共を旨とし、世界労連およびその傘下労組と厳しく対立し、労使協調の立場から生産性向上運動にも協力した。1960年代後半から1970年代にかけては、ベトナム戦争停戦の呼びかけ、南アフリカ共和国のアパルトヘイト(人種隔離政策)反対、チリなどの軍事独裁政権への非難、世界労連やその加盟組織との交渉、共同行動の容認などの点で一定の変化を示した。国際労働機関(ILO)など国際的諸機関内での労働者の発言力強化に努め、先進国首脳会議(サミット)前に主要国労組指導者会議(レイバー・サミット)を開いて申し入れ活動を行うなど、労働組合の要求を反映させる努力も行ってきた。
世界労連が事実上崩壊して以降、中東、アフリカ、南米、東欧、旧ソ連などの旧加盟組織やどちらにも未加盟であった組合の国際自由労連への加入が相次いだ。日本では、1987年(昭和62)に結成された民間の「連合」(全日本民間労働組合連合会)が一括して加盟し、官民統一による1989年の新「連合」(日本労働組合総連合会)結成後も、名義を変更して参加を継続した。ベルギーのブリュッセルに本部を置き、アフリカ地域組織(AFRO)、アジア太平洋地域組織(APRO)、汎(はん)アメリカ地域組織(ORIT)をもち、ヨーロッパ労連(ETUC)とは協力関係にあった。大会は、規約では4年に一度の開催となっていたが、1950年代は2年に一度、それ以降は3~4年に一度の割で開催された。
[五十嵐仁]
『堀田芳朗編著『世界の労働組合 歴史と組織』新版(2002・日本労働研究機構)』
国際自由労働組合連盟International Confederation of Free Trade Unions(ICFTU)の略称。世界労連(WFTU),国際労連(WCL)とともに有力な国際労働組合組織の一つで,沿革,組織化,機能の点で中心的存在。本部ブリュッセル。
国際労働組合運動は1864-66年にロンドンで生まれた国際労働者協会(IWA。いわゆる第一インターナショナル)に始まるが,これは,71年のパリ・コミューンを高く評価するマルクスら(つまり革命と政治重視派)と外国からのストやぶり阻止やスト支援の国際基金などを重視する組合運動家たちとの対立もあって,短命に終わった。後者の流れを継承するものとして,いろいろの業種にITS(業種別書記局)がいくつも生まれ,また諸国のナショナル・センター(中央団体)を集めた1901-03年の国際労働組合書記局(本部コペンハーゲン,のちベルリン)からは,実質的に13年(正式には1919年)に国際労働組合連盟(IFTU。いわゆるアムステルダム・インターナショナル)が生まれた。国際自由労連はこの線上にある。第2次大戦の終り近く45年にパリで世界労連が結成され,ここに戦前の対立(端的には旧プロフィンテルン系と旧アムステルダム・インター系の対立)を解消して労働戦線の統一が達成されたかにみえた。しかしヨーロッパ復興援助計画(マーシャル・プラン)をめぐる東西対立と冷戦体制下,アメリカ(CIO),イギリス(TUC),オランダ(NVV)などの労働組合は脱退して,49年にロンドンで西側陣営に立つ国際自由労連を結成した。
組織化の点では,国際自由労連は共産圏を除く世界の広範な地域に加盟団体をもつ(1996年の第16回大会報告では,加盟団体136ヵ国・地域,196組合,組合員1億2720万人)。地域別には,APRO(アジア太平洋地域組織),ORIT(汎米地域組織),AFRO(アフリカ地域組織),ETUC(ヨーロッパ労連,ただし独立組織)が独自の活動を行う。また産業別組織との関係では,国際自由労連は13のITSと〈同一の国際労働組合運動の陣営に属する〉とされる。労働者の利益を代表する活動としては,国連やILOなどが絶好の舞台になる。ことにILOは労使の代表が政府代表と平等に参加する仕組み(いわゆる3者構成)のため,国際自由労連はその前身のIFTU以来,ILOの実質的促進者である。ILO理事会の労働者側理事は,久しく国際自由労連側が独占し,総会はじめ地域会議等では労働者グループの役員と書記局を担当してグループの取りまとめを行ってきた。組織化の点では,ILOの会議や活動を活用して,多くの発展途上国から加盟団体の獲得に成功した。労働基本権の侵害について当該国政府を相手どってILOに提訴できる道を開いたのも,国際労働組合運動の強い要請による。1959年に国際自由労連は,国際機関や政府からのオブザーバーの参加を得てジュネーブに第1回世界経済会議を開き,先進国は後進国援助(当時の用語)のため国民所得の1%の拠出が急務であることを世界に訴えた(国連が同じ決議を行ったのは1961年の国連総会であった)。世界の舞台では国際自由労連は,対政府,対使用者との関係では,J.K.ガルブレースのいう拮抗力の一つとみてよい。
国際自由労連は90年代に入って勢いを強めており,加盟人員は著しく伸びている。旧東側諸国や発展途上国からの加盟が激増している。日本の加盟団体は連合である。国際労連との統合が進められ,両者は2006年国際労働組合総連合(ITUC)に合流した。
→労働運動 →労働組合
執筆者:高橋 武
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…諸国の労働組合が同一の職業または産業を基礎に国際的に連合したもの(産業別インター)をいう。今日では,そのうち国際自由労連系のものだけをさし,現在13のITSがある。〈書記局〉なる語は,19世紀の終りころヨーロッパで職業別または産業別の組合が国境をこえて連絡協力した際,ある国の関係組合を指定して書記局を担当させたことに由来する。…
…しかし47年の冷戦の開始が事態を変えた。アメリカのマーシャル・プラン実施にあたり,アメリカ,イギリス,オランダの組合は,アメリカの世界政策支持を世界労連に要求し,この要求が拒否されると,49年に脱退して,これに続いた他の主要資本主義国の労働組合とともに国際自由労連を結成した。西欧資本主義国の主要組合で世界労連にとどまったのは,フランスのCGT(セージエーテー)とイタリアのCGILのみであった。…
…1941年に英ソ労働組合委員会を結成し,45年の世界労連(WFTU)創設に大きな役割を果たした。しかし冷戦の進行にともなって,49年にはアメリカの組合とともに世界労連を脱退し,国際自由労連(ICFTU)を結成した。 戦後のTUCは政府に対する一大圧力団体に成長した。…
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[指導理念]
同盟は結成以来,民主的労働運動を標榜(ひようぼう)し,その指導理念として人間尊重と組合民主主義,産業民主主義,政治的民主主義,国際的民主主義の四つの民主主義を掲げていた。国際関係では国際自由労連に一括加盟(1965)し,西側・自由主義国家の労働組合との連帯を重視していた。また,同盟傘下の単産の多くがITS(国際職業別組織)に加盟していた。…
…1924‐28年,ケルン市議会議員となり,28年以来帝国議会議員に選出されたが,33年には2度逮捕され,以来地下に潜伏する。第2次大戦後,労働組合運動の再建に努め,49年DGB(ドイツ労働総同盟)の初代議長に選ばれ,また国際自由労連の副議長も務めた。穏健な労働組合主義の路線を堅持し,とくに共同決定法の確立に尽力したのは有名。…
…これにともない,従来のナショナルセンターのうち,同盟と中立労連は解散し,新産別も1年後の解散を決定した。民間連合は88年2月から官民統一をめざして,総評の中心である官公労,旧同盟系の友愛会議全官公との首脳会談を開始し,89年6月までに(1)民間連合の基本文書〈進路と役割〉の尊重,(2)国際自由労連加盟,(3)民間連合に反対する統一労組懇には毅然たる態度をとる,の3重要事項などで合意をみた。これにより民間連合と官公労の統一が決定したが,総評系の自治労・日教組などでは反主流派がこの統一に反対して分裂,これらは反連合の全労連に参加することとなった。…
…すなわち第2次大戦後,すべての国の労働組合を結集して世界労働組合連盟(世界労連,WFTU)が結成されたが(1945),マーシャル・プランに対する態度をめぐって対立が激化し,分裂した。世界労連から脱退した組合(西欧諸国の大部分およびAFL,CIO―この両者は1955年合併してAFL‐CIOになる)は国際自由労働組合連盟(国際自由労連,ICFTU)を結成し(1949),反共主義,反世界労連の立場に立って世界労連と鋭く対抗した。だが,その後国際的な緊張緩和が進むと,反共を第一義的原則とするAFL‐CIOと西欧諸国労働組合との間の対立が生じ,69年,AFL‐CIOは国際自由労連を脱退した(ただし1982年には復帰)。…
…(1)総評が階級的労働運動を基調としているのに対し,同盟が民主的労働組合主義の考え方を主張しており,運動の実際面でも対立があったこと。(2)国際労働運動の面で同盟が国際自由労連加盟を明確に志向してきた(1965年に一括加盟)のに対し,総評が中立の立場をとりながらも世界労連と親和的立場をとってきたこと。(3)総評加盟組合のなかでは公務員,公社の組合の比重が高いのに対し,同盟加盟組合ではそのほとんどが民間産業の組合で,両者では運動の方針も態様もかなりの違いがあったこと。…
※「国際自由労連」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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