日本大百科全書(ニッポニカ) 「炭鉱国有化」の意味・わかりやすい解説
炭鉱国有化
たんこうこくゆうか
炭鉱を国が所有・経営すること。フランスでは、「アルザス・ロレーヌ問題」を歴史的背景に、第二次世界大戦中のヒトラーによる強制労働、防衛に対するレジスタンスと深く関連する政治状況下で1946年に、イギリスでは戦後政権を担当した労働党政府により47年に炭鉱国有化が実施され現在に及んでいる。その目的は、鉱区の集約化(老朽小規模鉱区の整理)、大規模投資による生産合理化により、生産活動を増強し、第二次大戦後の経済復興に役だてようというものであった。日本でも対日理事会の勧告により社会党片山哲(てつ)内閣のもとで「臨時石炭鉱業管理法」(法律219号。1947)が3年間の時限立法として実施され、いわゆる「傾斜生産方式」が本格化した。炭鉱への基礎資材の重点的投入、炭鉱労働者への食料・衣類の特配、復交金融公庫からの重点融資などが行われたが、50年にはいちおうの目的を達成し、この法律は廃止された。日本では、民営化のもと戦後復興に大きな役割を果たした石炭産業は、高度成長期に外国炭や石油との競争に敗れ、現在石炭産業は壊滅状態である。
これに対し英仏では、イギリス石炭庁National Coal Board(NCB)、フランス石炭公社Carbonage de France(CDF)が設置され、石炭行政を推進したが、その後、英仏とも、石油エネルギーとの競合にあい、石炭産業の斜陽化が問題となった。フランス石炭産業は「ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体」(ECSC1952年発足)に加盟し、経済協力を推進し、加盟国の石炭(および鉄鋼)業の発展に寄与し、ヨーロッパ共同体(EC。現ヨーロッパ連合=EU)形成の原動力となった。イギリスでは、国営企業の民営化を目ざすサッチャー政権下、1984年3月、NCBが採算のとれない炭鉱の閉鎖計画を全国炭鉱労組(NUM、18万人)に提示し、これに反対する炭鉱争議は1年間にわたる長期争議となった。政府の強硬姿勢の前に、労組は分裂し、NUMも合理化問題を未解決のまま一方的に職場復帰を決定した。92年、メージャー政権は、全国50炭鉱のうち31炭鉱の閉鎖を発表したが、2年連続のマイナス成長による雇用問題の深刻化のなか、国民の支持を得られず、閉山計画の縮小を余儀なくされた。保守党の人気は低落し、97年労働党ブレア政権誕生の一因となった。
[殿村晋一]