日本歴史地名大系 「照信院跡」の解説 照信院跡しようしんいんあと 鹿児島県:曾於郡大崎町神領村照信院跡[現在地名]大崎町神領飯隈(いくま)にあった天台宗の寺院。飯隈山飯福(いいふく)寺と号し、本尊は神変大菩薩・不動明王。「三国名勝図会」には「照倍院」と記される。二八家正大先達の一つで五ヵ国(薩摩・大隅・日向・壱岐・対馬)の法頭、三州(薩摩・大隅・日向)の年行事職であった。慶雲五年(七〇八)役行者の弟子義覚が当山を開き、境内に新熊野三社権現を勧請、本地弥陀・薬師・観音の三像を安置。天平一五年(七四三)には聖武天皇の詔により勅願所となり、神領を与えられたと伝える。弘安三年(一二八〇)島津久経によって熊野社・本地堂寺屋等が再興され、覚進が中興開山とされた。また初め義覚によって蓬原(ふつはら)(現有明町)に創建され、のち当地に移されたとも伝える(三国名勝図会)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by