熊井村(読み)くまいむら

日本歴史地名大系 「熊井村」の解説

熊井村
くまいむら

[現在地名]鳩山町熊井

大豆戸まめど村の北西越辺おつぺ川支流はと川の流域に位置し、東は大橋おおはし村、西は高野倉たかのくら村。応安元年(一三六八)七月、越生兵庫助は当地などの本知行分を報恩ほうおん(法恩)(現越生町)に寄進している(報恩寺年譜)。田園簿によれば田高四〇一石余・畑高二三九石余で幕府領。元禄郷帳では高六六三石余、国立史料館本元禄郷帳では旗本内藤領。ほかに万願まんがん寺領がある。「風土記稿」成立時には旗本三家と幕府領の相給。本検地は元和六年(一六二〇)・貞享元年(一六八四)に行われ、天明六年(一七八六)には持添新田(幕府領)の検地が行われた。


熊井村
くまいむら

[現在地名]佐賀町熊井

伊与喜いよき村の東に伊与喜川を隔てて位置する。伊与木いよき郷の一村。伝えによれば、紀州熊野の別当旦増(湛増)神霊を奉じて熊浦くまのうらにたどりついたのち、その鎮座の場所をここに移したところから熊居(熊井)とよぶようになったという。

慶長二年(一五九七)の伊与木村地検帳に、伊与木村を構成する一村として名がみえる。検地面積は七町六反余、屋敷数一六、うち居屋敷九。江戸時代の当村は元禄郷帳によると本田高七六石余。寛保郷帳では家数一六、人数六七、馬二二、猟銃一。


熊井村
くまいむら

[現在地名]吉備町熊井

水尻みずしり村の南方に位置し、南北丘陵に挟まれる。「続風土記」は「熊井は人家皆山間にあるを以て隈居といふなるへし」と記す。慶長検地高目録によれば村高三二四石余、小物成二斗四升二合。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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