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王直 おうちょく Wang Zhi; Wang Chih

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

王直
おうちょく
Wang Zhi; Wang Chih

[生]洪武12(1379)
[没]天順6(1462)
中国,明代の学者,政治家。泰和 (江西省) の人。字は行倹。号は抑菴。諡は文端。永楽2 (1404) 年の進士翰林院の侍読学士などの官にあること 20年余,故事有職に通じ,朝廷の重要文書は多くその手に成り,当時王英 (江西省金谿の人,学者) と並んで西王,東王と称された。

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王直
おうちょく
Wang Zhi; Wang Chih

[生]?
[没]嘉靖38 (1559).12.
中国,明の海寇の首領,密貿易業者。徽州歙(しょう)県(安徽省)の出身。号は五峰。任侠で知略があり,仲間の徐惟学,葉宗満らと海船をつくり,海禁を犯して海上貿易に進出し,南海諸国と交易して巨富を築いた。

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デジタル大辞泉の解説

おう‐ちょく〔ワウ‐〕【王直】

[?~1557]中国、代の倭寇(わこう)の首領。歙(しょう)県(安徽省)の人。密貿易の取り締まりを避けて、平戸五島を本拠に倭寇を率い明の沿岸を襲う海賊となったが、勧誘により帰国して殺された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

王直 おう-ちょく

?-1559 明(みん)(中国)の密貿易者。
天文(てんぶん)9年日本に来航。五島を本拠地に密貿易をおこなう。のち倭寇(わこう)の頭目となり,中国沿岸で略奪をくりかえしたが,明の浙江総督胡宗憲の策略にかかり,帰国後の嘉靖38年12月処刑された。安徽省(あんきしょう)出身。号は五峰。汪直ともかく。

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世界大百科事典 第2版の解説

おうちょく【王直 Wáng Zhí】

?‐1559
中国,明の密貿易業者,倭寇(わこう)の頭目として有名。汪直ともかかれる。安徽省歙県(しようけん)の人。五峰とも呼ばれた。はじめ塩商を営んだが,失敗すると仲間の葉宗満(しようそうまん)らと海船を造り,禁制品の硫黄,生糸などをもって日本,呂宋(ルソン),安南,タイ,マラッカ方面と交易し,巨富を築いた。明の海禁政策が強化されると,彼は五島,平戸を本拠として日中の密貿易業者らを率い中国沿海を略奪した。いわゆる倭寇である。

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大辞林 第三版の解説

おうちょく【王直】

?~1557) 中国、明代の人。倭寇わこうの首領。日本・ルソン・安南などと密貿易。のち、五島に根拠地をおき日本の海賊を率いて徽王きおうと号し、中国沿岸を略奪して回った。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

王直
おうちょく
(?―1559)

中国、明(みん)代の海商で倭寇(わこう)の頭目。安徽(あんき)省歙(しょう)県の出身。本名は(てい)、号は五峰。明朝の海禁政策下に、彼は同郷の徐惟学(じょいがく)と国禁を犯して海外に密航した。同郷の先輩許棟(きょとう)らの配下に、1545年6月、日本貢使僧寿光らの帰国に随行して日本に来航し、博多(はかた)の海商倭助才門(わのすけざいもん)らを浙江(せっこう)省の双嶼(そうしょ)港に誘い、中国人、ポルトガル人、南洋人らと国際的密貿易を行った。48年浙江巡撫(じゅんぶ)(しゅがん)の海上粛正で双嶼港は壊滅し、その難を逃れた王直は生き残った部衆と船団を収容して、やがて海上の巨頭にのし上がった。彼は本拠を日本の平戸、五島に置き、舟山列島の烈港などを密貿易の前進基地とし、自らを徽(き)王と号し、三六島の倭人を指揮して、その勢力は海上に鳴り響いた。50年代の嘉靖(かせい)大倭寇期にはその最大の頭目とされた。浙直総督胡宗憲(こそうけん)の「互市(ごし)公許」の口実にのせられて57年10月その軍門に降伏し、2年後の12月処刑された。[佐久間重男]

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世界大百科事典内の王直の言及

【嘉靖の大倭寇】より

…密貿易者群の根拠地は,浙江の双嶼(そうしよ)(ポルトガル人はリャンポーといった)と瀝港(列港)(れつこう)であるが,この地が明の官憲の攻撃をうけて掃討されると,密貿易者たちは海寇集団に一転した。首領には王直や徐海らがいた。彼らの行動は1551年(嘉靖30)以後はげしくなり,中国沿海の人民をまきこみ,各地を荒らしまわって猛威をふるった。…

【歳遣船】より

…内容は対馬島主の歳遣船25隻はみとめるが,50年以前の名義の受図書人と受職人の通交はさしとめるというものであった。55年(弘治1∥明宗10)日本の五島を根拠地としていた明人王直らの海寇集団が朝鮮の南岸で行動した乙卯達梁倭変が起こり,宗氏はこの機をとらえて海賊の取締りと情報を提供することによって57年(弘治3∥明宗12)の丁巳(ていし)約条で歳遣船数を30隻に増加することに成功した。その後も宗氏はつねに歳遣船の増加を朝鮮側に求めつづけたが受け入れられなかった。…

【戚継光】より

…1552年(嘉靖31)以後のいわゆる後期倭寇の大侵攻に当たり,総兵官胡宗憲のもとにあって,その鎮定に努力した。57年には倭寇の大頭目王直を捕らえたのをはじめ,63年の平海衛の戦でも倭寇の主力を撃滅し,兪大猷とともに偉功をたてた。67年(隆慶1)海禁令が解かれ,倭寇が下火になると,北辺防衛にうつされ,総兵官として薊州,永平,山海関等においてアルタン・ハーン,ついでトモン・ハーンらのモンゴル軍の侵攻を撃退し,北辺の安全を保持した。…

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