片岡寛光(読み)かたおかひろみつ

改訂新版 世界大百科事典 「片岡寛光」の意味・わかりやすい解説

片岡寛光 (かたおかひろみつ)
生没年:?-1838(天保9)

江戸末期の国学者。江戸の人。通称周輔,権太郎,号は郁子園(むべぞの),蔦垣内。医師所尊光の子として生まれたが,神田佐久間町の名主片岡家の養子となった。晩年村田春海に入門し,その才を現す。本間游清屋代弘賢,高田与清らと交友。また,《江戸名所図会》の著者斎藤幸孝・幸成(月岑(げつしん))父子とは住居が近く同職のためとくに親交し,その著にも序文を寄せた。門人も多かったが30歳余で没す。
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朝日日本歴史人物事典 「片岡寛光」の解説

片岡寛光

没年:天保9.1.15(1838.2.9)
生年:生年不詳
江戸後期の歌人。通称周輔,権太郎。号郁子園,桂満,蔦垣内など。医師所尊光の息。江戸神田佐久間町の里正片岡家の養子となる。清原雄風,村田春海,村田春門に和歌を学ぶ。江戸派歌壇で相応の地位を保ったらしいが断片的な資料しか残っていない。その著『いまはむかし』は寛光周辺の三島自寛や蒲生君平らの逸話を伝えて貴重。晩年は発狂同然となり和歌も詠まなくなったという。静嘉堂文庫に自筆詠草が伝存する。<参考文献>丸山季夫「江戸神田の歌人片岡寛光覚書」「三島自寛晩年の逸事」(『国学史上の人々』)

(久保田啓一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「片岡寛光」の解説

片岡寛光 かたおか-ひろみつ

?-1838 江戸時代後期の国学者。
江戸神田の名主。村田春海に入門し,本間游清とともに門下双璧とうたわれる。屋代弘賢,小山田与清(ともきよ)らと「沙石(しゃせき)集」を校訂。天保(てんぽう)9年1月15日死去。30歳余。本姓は所。別名は桂満(かつらまろ)。通称は周輔,権太郎。号は蔦垣内,郁子園(むべぞの)。著作に「古今集集成」「参考狭衣草子」など。

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