牛場信彦(読み)ウシバ ノブヒコ*

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「牛場信彦」の解説

牛場 信彦
ウシバ ノブヒコ*


専攻分野
外交問題

肩書
元・対外経済担当相,外務省顧問,元・駐米大使

生年月日
明治42年11月16日

出生地
兵庫県神戸市下山手通

学歴
東京帝国大学法学部〔昭和7年〕卒

経歴
通産省通商局長、外務省経済局長、駐カナダ大使、外務審議官、外務次官などを経て昭和45年7月から約3年間駐米大使を務めたが、駐米大使時代には沖縄返還日米繊維交渉などの難題と取り組む一方、“空飛ぶ大使”の異名をとりながら全米50州のほとんどを講演旅行して日米間の相互理解促進に尽力。その後、外務省顧問をしたあと52年11月、福田内閣の対外経済担当相に就任、米欧との経済摩擦緩和に東奔西走するなど、経済外交に大きな役割を果たした。59年には日米諮問委員会(賢人会議)の日本側委員長として、日米関係の順調な発展を目ざす報告書を出した。

受賞
財界賞〔昭和56年〕 勲一等旭日大綬章〔昭和57年〕 ジャパン・ソサエティ賞(第1回)(ニューヨークの日本協会)〔昭和59年〕

没年月日
昭和59年12月31日

家族
息子=牛場 昭彦(産経新聞編集委員) 兄=牛場 友彦(近衛首相秘書官) 牛場 道雄(三菱石油常務) 弟=牛場 大蔵(慶大名誉教授)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「牛場信彦」の解説

牛場 信彦
ウシバ ノブヒコ

昭和期の外交官 外務省顧問;元・対外経済担当相;元・駐米大使。



生年
明治42(1909)年11月16日

没年
昭和59(1984)年12月31日

出生地
兵庫県神戸市下山手通

学歴〔年〕
東京帝国大学法学部〔昭和7年〕卒

主な受賞名〔年〕
財界賞〔昭和56年〕,勲一等旭日大綬章〔昭和57年〕,ジャパン・ソサエティ賞(第1回)(ニューヨークの日本協会)〔昭和59年〕

経歴
通産省通商局長、外務省経済局長、駐カナダ大使、外務審議官、外務次官などを経て昭和45年7月から約3年間駐米大使を務めたが、駐米大使時代には沖縄返還、日米繊維交渉などの難題と取り組む一方、“空飛ぶ大使”の異名をとりながら全米50州のほとんどを講演旅行して日米間の相互理解促進に尽力。その後、外務省顧問をしたあと52年11月、福田内閣の対外経済担当相に就任、米欧との経済摩擦緩和に東奔西走するなど、経済外交に大きな役割を果たした。59年には日米諮問委員会(賢人会議)の日本側委員長として、日米関係の順調な発展を目ざす報告書を出した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「牛場信彦」の解説

牛場信彦 うしば-のぶひこ

1909-1984 昭和時代の外交官。
明治42年11月16日生まれ。牛場友彦の弟。昭和42年外務事務次官。45年駐米大使となり,沖縄返還,日米繊維交渉などにとりくむ。52年福田内閣の対外経済担当国務相。昭和59年12月31日死去。75歳。兵庫県出身。東京帝大卒。
格言など】外交交渉の目標は五十対五十。……取り過ぎはあとで必ずマイナスがでてくる

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「牛場信彦」の解説

牛場 信彦 (うしば のぶひこ)

生年月日:1909年11月16日
昭和時代の外交官。対外経済担当相;駐アメリカ大使
1984年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android