猪口万右衛門(読み)いのくち・まんえもん

朝日日本歴史人物事典 「猪口万右衛門」の解説

猪口万右衛門

没年:文化8(1811)
生年寛保3(1743)
江戸後期,久留米藩領筑後国三瀦郡中村(福岡県三瀦郡大木町)の農民灌漑用具「万右衛門車」の発明者といわれる。庄屋猪口又兵衛の次男に生まれ,19歳のとき,同村の大工猪口勘助の養子となり家業を継ぐ。農民であった経験から,大工の技術を農具作りに生かし,商人から聞いた淀川の踏み車の話にヒントを得て安永6(1777)年,高能率の足踏み水車「万右衛門車」を発明したという。これは従来の「打桶」による水汲みよりも効率を数倍高めたので,またたく間に普及した。なお足踏み水車の発明については,宝暦3(1753)年,柳川藩中老四ケ所通久によるという説もある。<参考文献>『久留米市史』2巻,『江戸時代人づくり風土記・福岡』

(井奥成彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「猪口万右衛門」の解説

猪口万右衛門 いのくち-まんえもん

1743-1811 江戸時代中期の発明家
寛保(かんぽう)3年生まれ。筑後(ちくご)(福岡県)三瀦(みずま)郡の庄屋の次男で,大工の養子となる。水利のよくない同地方の灌漑(かんがい)をはかるため,安永6年従来の8倍の揚水能力の足踏み水車を発明したとされる。この水車は「万右衛門車」とよばれて普及し,大正12年ごろまでもちいられた。文化8年死去。69歳。姓は「いぐち」ともよむ。

猪口万右衛門 いぐち-まんえもん

いのくち-まんえもん

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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