朝日日本歴史人物事典 「猪熊教利」の解説
猪熊教利
生年:生年不詳
江戸前期の公家。詳しい経歴は伝わらない。後陽成天皇の廷臣で近衛少将に任じられた。慶長12(1607)年2月12日,宮女との密通事件で勅勘を受け出奔した。さらに同14年7月烏丸光広らの密通事件が発覚し,首謀者と見なされ,九州へ逃亡。8月4日徳川家康は全国へその捕縛を命じた。日向国に潜伏中捕らえられ,9月京都へ護送され,10月17日京都常禅寺で処刑された。巷間に美男子の噂が高かった。この「猪熊事件」と呼ばれる宮女密通事件の処分は,家康主導で行われ,以後朝廷への幕府の干渉を許す契機となった。<参考文献>平井誠二「江戸時代の公家の流罪について」(『大倉山論集』29号)
(藤田恒春)
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