猪熊教利(読み)いのくま のりとし

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「猪熊教利」の解説

猪熊教利 いのくま-のりとし

?-1609 織豊-江戸時代前期の公家
近衛(このえの)少将。慶長12年女官との密通が発覚して出奔(しゅっぽん)。ついで14年に発覚した烏丸光広(からすまる-みつひろ)ら公家7人の密通事件の首謀者と見なされ,後陽成(ごようぜい)天皇から処分をまかされた徳川家康の命で日向(ひゅうが)(宮崎県)で捕らえられ,同年10月17日京都で処刑された(猪熊事件)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の猪熊教利の言及

【猪熊事件】より

…江戸初期,宮廷で起きた猪熊教利らの密通事件。1607年(慶長12)2月,左少弁猪熊教利が官女との密通により勅勘を受けて出奔し,ついで09年7月には参議烏丸光広以下大炊御門頼国,花山院忠長,飛鳥井雅賢,難波宗勝,徳大寺宗久,松木宗信らの若公家衆が前年来典侍広橋氏など5人と遊興にふけり,密通していたことが発覚した。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」