改訂新版 世界大百科事典 「猪熊事件」の意味・わかりやすい解説
猪熊事件 (いのくまじけん)
江戸初期,宮廷で起きた猪熊教利らの密通事件。1607年(慶長12)2月,左少弁猪熊教利が官女との密通により勅勘を受けて出奔し,ついで09年7月には参議烏丸光広以下大炊御門頼国,花山院忠長,飛鳥井雅賢,難波宗勝,徳大寺宗久,松木宗信らの若公家衆が前年来典侍広橋氏など5人と遊興にふけり,密通していたことが発覚した。後陽成天皇は激怒し,彼らを極刑に処すべく,その意向を幕府に伝えた。徳川家康は叡慮次第の旨を奏したが,宮廷内部に寛典論も出て,その処分は家康に一任された。家康は女官を伊豆新島に,公家衆5人を蝦夷などに配流し,捕らえた教利らを斬罪に処した。この処分は天皇の意向にそわなかったようで,この後譲位を思いたつ一因ともなり,またこの一件は幕府が廷臣の進退に干渉する例をひらき,13年に至り幕府は公家衆法度五ヵ条を定めて公家衆の風儀の矯正をはかることになった。
執筆者:橋本 政宣
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報