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猪谷千春 いがやちはる

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

猪谷千春
いがやちはる

[生]1931.5.20. 南千島,国後島
スキー選手。立教大学,アメリカ合衆国のダートマス大学卒業。1956年のコルティナダンペッツォ・オリンピック冬季競技大会アルペンスキー男子回転で 2位。アルペンスキーで日本人として初めてオリンピック入賞を遂げた。1960年のスコーバレー大会を最後に国際舞台から去り,1962年から強化コーチとなった。1982年から国際オリンピック委員会 IOC委員を務め,2005~09年同副会長,2012年同名誉委員。1988年紫綬褒章,2012年オリンピック・オーダー銀章受章。(→スコーバレー・オリンピック冬季競技大会

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

猪谷千春 いがや-ちはる

1931- 昭和後期-平成時代のアルペンスキー選手,指導者。
昭和6年5月20日生まれ。猪谷六合雄(くにお)の長男。父の英才教育をうけ,昭和27年オスロ冬季五輪の回転で11位。アメリカ留学で技術をみがき,31年コルティナ-ダンペッツォ冬季五輪の回転でトニー=ザイラーについで銀メダル。日本初の冬季五輪メダリストとなる。57年IOC委員,62年理事,平成17年副委員長。北海道(千島)出身。ダートマス大卒。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

猪谷千春
いがやちはる
(1931― )

スキー選手。北海道、国後(くなしり)島生まれ。3歳のときから父母よりスキーの英才教育を受ける。1953年(昭和28)立教大学を卒業し、アメリカのダートマス大学に留学。アメリカではスキーの全米学生選手権に6回、全米選手権に5回優勝し、1957年に全米スキーチームの最優秀選手となり、同大卒業時にダートマス杯を受ける。1952年オスロ冬季オリンピック大会に出場。1956年コルティーナ・ダンペッツォ冬季オリンピックに出場し、回転競技で銀メダルを獲得する。1982~2011年に国際オリンピック委員会(IOC)委員を務め、その間1987~1991年と1996~2000年の2回に渡りIOC理事に就任。また、国際スキー連盟アルペン委員会委員、ワールドカップ委員会極東代表、全日本スキー連盟強化顧問を歴任した。[編集部]

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世界大百科事典内の猪谷千春の言及

【オリンピック】より

…1956年の第16回大会は,初めて南半球に移ってメルボルン(オーストラリア)で開催されたが,馬術競技だけはメルボルンの馬に対する検疫制度がきびしいため,切り離してストックホルムで行われた。この年2月,コルティナ・ダンペッツォ(イタリア)で開催された第7回冬季大会で,日本の猪谷千春(のちのIOC委員)は,スキー回転で2位に入り,日本人初の冬季大会メダリストとなった。メルボルン大会に先立って,選手村の国旗の誤りから中国選手団が参加を拒否し,IOCに台湾の除籍を求めていれられなかったのに抗議して,58年,中国はIOCから脱退し,以後20年にわたって中国問題がIOCの困難な課題となった。…

【スキー】より

…32年の第3回オリンピック冬季大会(レーク・プラシッド)で安達五郎がジャンプで8位,36年(ガルミッシュ・パルテンキルヘン)には伊黒正次がジャンプで7位にはいった。第2次大戦後の56年の第7回大会(コルティナ・ダンペッツォ)には猪谷千春が回転で2位に入賞した。1位のオーストリアのザイラーToni Sailerは,大回転,滑降でも優勝し,アルペン三冠王となった。…

※「猪谷千春」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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