玄丹かよ(読み)ゲンタン カヨ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「玄丹かよ」の解説

玄丹 かよ
ゲンタン カヨ


職業
芸者

本名
錦織 加代

生年月日
天保13年 10月

出生地
出雲国(島根県)

経歴
松江藩士で鍼医師錦織玄丹の娘。慶応4年(1868年)松江藩問責のため西園寺公望を総大将とする山陰道鎮撫使の一行が松江に派遣され、同藩国家老の大橋茂左衛門らの切腹を要求。この時、かよは酌婦として一行の酒宴に潜入し、機転侠気をもって大橋らの助命に成功。また、一行中の乱暴狼藉で刀に刺した蒲鉾を突きつけられると、これを見事きれいに食べて見せ、一行の度肝を抜いたという。これらの模様は永井瓢斎の脚本「鎮撫使さんとお加代」で描かれた逸話であるが、歴史事実と異なる点も多い。晩年は敵に身を売ったと誤解され、寂しいものであった。松江市の白潟公園に胸像及び顕彰碑が、光徳寺に墓とお加代地蔵がある。

没年月日
大正7年 8月7日 (1918年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「玄丹かよ」の解説

玄丹かよ げんたん-かよ

1842-1918 幕末-明治時代の芸者。
天保13年10月生まれ。慶応4年山陰道鎮撫使(ちんぶし)西園寺公望(さいおんじ-きんもち)一行が松江藩問責のため進駐した際,一行の無理難題と乱暴狼藉を,侠気と機転により懐柔したとされる。永井瓢斎「鎮撫使さんとお加代」により小説化された。大正7年8月7日死去。77歳。出雲(いずも)(島根県)出身本名は錦織加代。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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