玄要寺
げんようじ
江戸時代の城下上南条町から南の農人町にかけての広い地域を占め、北の下南条町に続く寺町の一角を構成した。臨済宗妙心寺派、泰雲山と号し、本尊は釈迦如来、左右に迦葉・阿難の二尊像を安置。京極高和の入封時創建されたとされるが、成立年代は不明。「西讃府志」によれば開山宗貯、京極氏の菩提寺で、寺号の玄要、山号の泰雲は京極忠高・高次の諡号。丸亀藩京極氏七代のうち六代高朗のみが当寺を墓所とした。玄要寺由緒によると、もと京極佐々木家菩提寺として伊吹山下に建立され、慶長九年(一六〇四)近江国大津城(現大津市)時代の高次が再興開山として月岑宗貯を迎えた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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