兵庫県南西部にあった旧市名(龍野市)。現在はたつの市の中南部を占める一地区。1951年(昭和26)龍野町と揖西(いっさい)、揖保(いぼ)、誉田(ほんだ)、神岡の4村が合併して市制施行。2005年(平成17)10月龍野市は新宮(しんぐう)、揖保川(いぼがわ)、御津(みつ)の3町と合併してたつの市となる。揖保川がほぼ中央部を南流し、北西部が低山性の西播(せいばん)丘陵であるほかは、大部分低地で姫路平野の西端にあたる。JR山陽本線、姫新線(きしんせん)が通じる。国道2号は旧市域南端を通り、179号が北上する。山陽自動車道の竜野・竜野西インターチェンジがあり、播磨(はりま)ジャンクションで播磨自動車道を分岐する。開発の歴史は古く、先土器時代の遺跡も知られ、ことに古墳には副葬品で注目される西宮山古墳(にしみややまこふん)などがある。古代には山陽道と美作(みまさか)道の分岐する要地となり、旧市域全体に条里制の遺構が分布する。城下町としての歴史は赤松氏が文明(ぶんめい)年間(1469~1487)に揖保川右岸の鶏籠(けいろう)山上に築城したことに始まる。その後、城は山麓(さんろく)に移され、龍野藩脇坂(わきざか)氏5万3000石の城下町として繁栄した。鉄道から外れて近代的都市化が遅れたため、播磨(はりま)の小京都とよばれた城下町時代の町並みが保存され、現在は兵庫県の「景観形成地区」に指定され、積極的にその歴史的景観の保全に努めている。
産業は地場産業の比重が大きく、しょうゆ、そうめん、皮革の製造が中心である。消費都市的性格が強く、商業と住宅地は揖保川の川西から川東へ進出し、官庁街とともに新しい市街地を形成しつつある。三木露風(みきろふう)、三木清らの資料を展示する霞城(かじょう)館、しょうゆ醸造の過程を示す、うすくち龍野醤油(しょうゆ)資料館がある。文学の小径(こみち)を龍野公園に訪ねる人も多い。鶏籠山の山麓には龍野城が復元され、また歴史文化資料館も設置されている。
[大槻 守]
『『龍野市史』全7巻(1978~1986・龍野市)』▽『石原元吉編『ふるさとの想い出写真集 龍野』(1980・国書刊行会)』
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