日本大百科全書(ニッポニカ) 「玉作遺跡」の意味・わかりやすい解説
玉作遺跡
たまつくりいせき
先史・古代における玉類製作の遺跡。近年の調査により、全国的に分布していることが知られてきた。たとえば、翡翠(ひすい)の玉作としては新潟県糸魚川(いといがわ)市寺地(てらじ)遺跡、同市長者ヶ原遺跡(縄文時代)、富山県下新川郡朝日(あさひ)町浜山(はまやま)遺跡(古墳時代)があり、弥生(やよい)時代の玉作では新潟県佐渡(さど)市新穂(にいぼ)遺跡などがある。古墳時代では千葉県成田市八代(やつしろ)遺跡、大和田遺跡などがあり、碧玉(へきぎょく)製腕飾など石製品をつくった石川県加賀市片山津(かたやまづ)遺跡も著名である。
しかし、なかでも古くから知られて有名なのが島根県松江市玉湯町玉造(たまゆちょうたまつくり)にある国指定史跡出雲(いずも)玉作跡である。ここでは古墳時代前期から平安時代にわたる間の玉作工房址(し)が多数発掘され、玉作の専業的集団の存在が確かめられた。また半傾斜床という珍しい工房址なども検出されている。製作された玉類は、勾玉(まがたま)、管玉(くだたま)、丸玉、切子玉(きりこだま)、小玉、平玉、棗玉(なつめだま)、臼玉(うすだま)、水晶垂玉、子持勾玉などで、これらの未成品や砥石(といし)などの工具類も多数出土している。またガラス製造の遺物も発見されている。玉材には、同地の花仙山より産出する碧玉、めのう、水晶、石英、滑石などが使用されている。『古語拾遺(しゅうい)』や『延喜式(えんぎしき)』などには、毎年調物として出雲国より玉を貢進し、また意宇(おう)郡神戸玉作氏が攻玉(玉作り)に従事していたと記載されており、文献と考古学的事実の一致が認められて興味深い。
[寺村光晴]