日本歴史地名大系 「玉前庄・一宮庄」の解説
玉前庄・一宮庄
たまさきのしよう・いちのみやのしよう
〔玉前庄〕
永万元年(一一六五)六月の神祇官諸社年貢注文(永万文書)に玉綺社とみえる。神祇官を本所とする一方、鳥羽天皇皇女の上西門院の所領となり、後白河天皇皇女の宣陽門院に伝領された(「宣陽門院覲子内親王所領目録」島田文書)。なお「本朝世紀」康治二年(一一四三)八月一一日条によれば、玉前社社務執行の源為季が神罰により頓死したという。一二世紀末には両総平氏嫡流の上総氏が庄内の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報