日本大百科全書(ニッポニカ) 「玉室宗珀」の意味・わかりやすい解説
玉室宗珀
ぎょくしつそうはく
(1572―1641)
桃山から江戸初期の臨済宗の僧侶(そうりょ)。京都の人。字(あざな)は玉室、諱(いみな)を宗珀と称し、睡眠子(すいみんし)と号した。春屋宗園(しゅんおくそうえん)(1529―1611)の法を嗣(つ)ぎ、沢庵宗彭(たくあんそうほう)や江月宗玩(こうげつそうかん)と兄弟弟子になる。36歳で大徳寺147世の住持となり、後陽成(ごようぜい)天皇の帰依(きえ)が厚く、「直指心源禅師」の号を賜った。その後、大源庵、高林庵、芳春院(ほうしゅんいん)などを創建したが、紫衣(しえ)事件で3年間奥州赤館(あかだて)に配流されたこともあった。その書画は、気韻清高をもって人々から尊重される。とくに書は、師春屋に通じ、洗練された洒脱(しゃだつ)さを示している。
[久保木彰一 2017年6月20日]