江戸初期の禅僧。堺(さかい)(大阪)の人。諱(いみな)は宗玩、字(あざな)は江月。茶人として有名な津田宗及(つだそうきゅう)の子。9歳で京都大徳寺に入った。ついで堺の南宗寺に転じた。師春屋宗園(しゅんおくそうえん)(1529―1611)の後を受けて紫野(むらさきの)竜光院の第2世となった。また、大徳寺第156世、筑前(ちくぜん)崇福寺第79世、南宗寺第13世を継いだ。さらに布教のため、松浦肥前守隆信(まつらひぜんのかみたかのぶ)の招きで平戸(ひらど)に下ったが、晩年は京に戻り、竜光院において70歳で示寂した。小堀遠州、松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)ら当代一流の文化人との親交が知られる。また茶道、書画に堪能(たんのう)で、ことに書は後世茶人に大いに尊重されている。
[島谷弘幸 2017年7月19日]
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報