日本歴史地名大系 「玉木村」の解説 玉木村たまきむら 兵庫県:朝来郡和田山町玉木村[現在地名]和田山町玉置(たまき)・立(たつ)ノ原(はら)枚田岡(ひらたおか)村の北、円山(まるやま)川の支流朝来川と東河(とが)川との間に立地。山陰道筋の村。一七世紀前期・中期とされる国絵図(石川家蔵)では「玉置」と記され、正保(一六四四―四八)頃の国絵図では玉木として高二一五石余。幕府領として推移したと考えられる。元禄郷帳でも玉木村とする。宝暦七年(一七五七)の但馬国高一紙では高二二一石余。文化二年(一八〇五)の村明細帳(和田山町史料館蔵)では家数六五・人数二四〇、牛二五。明治六年(一八七三)枚田岡村を合併、玉置村となる。熊野神社が鎮座。 玉木村たまきむら 福井県:坂井郡芦原町玉木村[現在地名]芦原町玉木竹田(たけだ)川の南に位置する小村で、宮前(みやまえ)村の南東にある。正保の越前国絵図によれば、金津(かなづ)宿(現金津町)と三国(みくに)湊(現三国町)を結ぶ交通路沿いにある。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では新(しん)郷に含まれ、地名は寛永一五年(一六三八)の十郷横落長江堀間数割(大連家秘簿)中に「玉木」と記される。正保郷帳では田方五五石余・畠方一二四石余。大正四年(一九一五)に江戸時代後期の記録を整理した「福井藩役々勤務雑誌」(松平文庫)では田方七三石余・畑方一〇五石余で、かつての畑の一部が田となっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by