護念寺(読み)ごねんじ

日本歴史地名大系 「護念寺」の解説

護念寺
ごねんじ

[現在地名]守口市高瀬町五丁目

世木せぎ御堂ともよばれる。山門向いの道路に「御堂前橋」の石碑が建ち、かつては寺の前を高瀬たかせ川が流れていた。真宗大谷派、本尊阿弥陀如来。寺伝によると、本願寺八世蓮如の子で加賀国若松本泉わかまつほんせん(現石川県金沢市)の四世実悟は、永禄年中(一五五八―七〇)河内地方で布教土居どい(現清沢寺)創建後、加賀国一向一揆で享禄四年(一五三一)焼失した本泉寺を世木に復興したという。「大谷一流諸家分脈系図」の実悟の条に「永禄中創河州茨田郡土居、又創同郡世木之坊」とあり、本泉寺復興とは「世木之坊」創建のこととみられる。


護念寺
ごねんじ

[現在地名]小倉南区長野

西山浄土宗。観勢山と号し、本尊阿弥陀如来。保元二年(一一五七)平時盛の六男平(長野)修理太夫康盛が豊前に下って長野に城を築き、当寺を創立したという。初めは禅宗であったが、数代後に長野家は断絶、文明一八年(一四八六)長野豊前守助氏次男岩松丸が父の菩提を弔うため剃髪して住職となり、行念と称して浄土宗に改宗、京都光明こうみよう(現京都府長岡京市)直末寺となった。


護念寺
ごねんじ

[現在地名]熊本市西子飼町

西子飼にしこかい町の東端、子飼交差点に接し、北裏側は国道五七号が走る。旧鋤身崎すきのみざき地域東端の三角形突端部に位置する。大福山と号し、浄土宗、本尊は阿弥陀如来、旧往生おうじよう院末寺。由緒は「国誌」に「元和二年或云五年往生院三世照蓮社大越寂誉開基」とある。現在は子飼商店街のため寺地は狭められているが、江戸時代の絵図では松雲しよううん院とほぼ同じ間口であった。寺伝によると、加藤清正が熊本城築城に際し寺院建物の用材を分与したので、本堂前に清正堂を建てていたが、第二次世界大戦中に荒廃し撤去されたという。


護念寺
ごねんじ

[現在地名]大月町柏島

かしわ島北方山麓にある。浄土真宗本願寺派。本尊阿弥陀如来。天正年中(一五七三―九二)島の医師立石金右衛門入道善生が開いたと伝え、「南路志」に「寺記曰、天和三亥年寺号申請、寺地先年は当浦東崎と云処に有之、大変に流失、其砌禅昌寺山畑之内前住清玄永々証文を以借地建立也」とある。明治九年(一八七六)廃寺となったが、同三三年再興。なお柏島の築堤のとき、野中兼山がこの寺を本陣としている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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