日本大百科全書(ニッポニカ) 「王岐山」の意味・わかりやすい解説
王岐山
おうきざん / ワンチーシャン
(1948― )
中国の政治家。山西(さんせい)省天鎮(てんちん)県で生まれる。習近平(しゅうきんぺい)より5歳年上。妻は元国務院副総理姚依林(よういりん)(1917―1994)の娘、姚明珊(めいさん)(1949― )であることから「紅二代」とみなされている。習との関係で興味深いエピソードは、1969~1971年に王岐山が延安(えんあん)の馮庄(ひょうしょう)村に下放されていたとき、近くの延川に下放されていた習近平が、一度戻っていた北京(ペキン)から延川に帰る途中、馮庄村を訪ね王岐山の宿舎で一夜を明かしたことである。王岐山は習が少年時代に直接知り合い、親しい感情をもった人物であった。江沢民(こうたくみん)時代には、とくに北京市党委員会書記陳希同(ちんきどう)(1930―2013)の大規模汚職事件(1997~1998年)があり、王はその後も腐敗まみれになっていた首都に入り目を光らせ、北京市長となってオリンピック北京大会を成功裏に終わらせる下地をつくったことから、その手腕が一般に高く評価された。こうしたなかで、総書記に就任した習近平は自身の「腐敗大打撃戦略」の旗振り役に王岐山を指名したのであろう。
習近平の総書記就任とあわせて、王岐山は2012年に党中央政治局常務委員に昇格し、中央規律検査委員会主任を務めた。彼は反腐敗闘争の総指揮者として積極的に陣頭指揮をとったが、この反腐敗闘争こそ習近平のライバルになりそうな指導者に攻勢をかけ、彼らを追い落とし、習政権を決定的に安定させたのであった。同時に王が規律検査委員会でイニシアティブをとるようになって、「審査・処罰、拘束・自白、巡視、抽出検査、情報公開」といった系統的な腐敗処理を徹底するようになった。とくに、中央から地方に派遣させる中央巡視工作組(巡視組)を組織し、王自身がその組長に就任し、地方の情報を中央自身が踏み込んで集め、分析し対応を考えるという仕組みを重視した。これらの試みは、その後の「大虎退治」とよばれる反腐敗闘争の有効な手段となったのである。
王岐山は第19回党大会(2017)で党のポストからは全面引退したが、2018年3月には国家副主席に指名され、引き続き習近平の右腕として期待されている。
[天児 慧 2018年4月18日]