日本大百科全書(ニッポニカ) 「王燾」の意味・わかりやすい解説
王燾
おうとう
生没年不詳。中国、唐代の医家。『外台秘要方(げだいひようほう)』40巻を著した(752)。太宗の補佐グループの一員の王珪(おうけい)(570―639)の孫である。王燾伝によれば「生まれつき親孝行で、徐州の司馬(しば)となり、母の病気のため長年帯を廃さず湯剤を調え仕えた。しばしば高医と交際し、ついにその術を窮め、それによって書をつくり外台秘要と号した。討繹(とうえき)精明で世はこれを宝とした。給事中(きゅうじちゅう)・鄴郡太守(ぎょうぐんたいしゅ)を歴任し、その治績は当時知られていた」とある。また『外台秘要方』の自序では、「幼時から病弱で、長じて医術を好み、有道の人に学び、また台閣に二十余年も出入りし、久しく弘文館(こうぶんかん)図籍方書などをみてその秘要を探った。婚姻のゆえをもって左遷され、僻地(へきち)を移動させられた。その間、病気となり死にかけたこともあったが、頼れるものは経方(けいほう)だけであった。発憤して種々の処方を集め、まとめて四十巻とし、外台秘要方と名づけた」と書いている。
[山本徳子]