弘文館(読み)コウブンカン

デジタル大辞泉 「弘文館」の意味・読み・例文・類語

こうぶん‐かん〔‐クワン〕【弘文館】

江戸初期の林家家塾。寛永7年(1630)林羅山が江戸上野忍岡創立。元禄3年(1690)5代将軍綱吉湯島に移し、のち、昌平坂学問所となった。

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精選版 日本国語大辞典 「弘文館」の意味・読み・例文・類語

こうぶん‐かん‥クヮン【弘文館】

  1. 江戸初期の幕府儒官、林家(りんけ)私塾昌平黌(しょうへいこう)(=昌平坂学問所)の前身。寛永七年(一六三〇)林羅山が将軍徳川家光から忍岡(上野公園)に屋敷を賜わり書院文庫設立したのに始まる。同九年尾張藩主徳川義直が孔子廟を建立したので忍岡の聖堂と呼ばれ、寛文三年(一六六三)将軍家綱から弘文館の号を授けられた。元祿三年(一六九〇)湯島に移転し、幕府の官学となった。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「弘文館」の解説

弘文館
こうぶんかん

弘文院とも。幕府儒官の家である林家の書院の呼称。1663年(寛文3)林鵞峰(がほう)は五経講義の恩賞として弘文院の号を得,以後「弘文院学士」と称した。子鳳岡(ほうこう)も87年(貞享4)に同号を許され,大学頭(だいがくのかみ)を称するまで使用した。中国の学館名に由来し朝鮮でも用いられた弘文館(院)を幕府最高儒官の尊称ならびにその書院名として使用することによって,鵞峰は自身の国内外での権威を高めようとしたとみられる。弘文館を中核とした林家塾は,寛政年間に幕府の公教育機関昌平坂学問所へと発展した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「弘文館」の解説

弘文館
こうぶんかん

江戸幕府の儒官林家 (りんけ) の私塾
弘文院ともいう。昌平坂学問所の前身。1630年林羅山が将軍徳川家光から賜った上野忍ケ岡の地に聖堂を設立。'63年鵞峯のとき,林家の私塾を弘文館と呼んだ。'90年聖堂が湯島に移って,官立の昌平坂学問所となった。

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