改訂新版 世界大百科事典 「珍努宮」の意味・わかりやすい解説
珍努宮 (ちぬのみや)
奈良時代に元正天皇が河内国和泉郡に営んだ避寒用の離宮。智努離宮,和泉宮とも記す。《続日本紀》の霊亀2年(716)3月条に〈河内国の和泉・日根両郡を割(さ)き珍努宮に供せしむ(造営の人夫と費用を出させる)〉,同4月条に〈大鳥・和泉・日根三郡を割き和泉監(げん)を置く〉とあり,これまで三郡は河内国に含まれていた。監は,普通の国がもつ行政任務以外に離宮警衛の務も兼ねる管区(または役所)をさし,例に芳野監(よしのげん)があり,避暑用の芳(吉)野離宮(吉野宮)を管内に擁した。元正天皇の珍努宮だから,同天皇が717年(養老1),719年行幸した和泉宮も珍努宮と同じで,譲位後も744年(天平16)に行幸した。和泉宮の御田苅(みたかり)に必要な食稲が和泉郡から支出され,大鳥・日根郡から出ていないこと(天平10年〈和泉監正税帳〉),高脚海の珍努(黒鯛)などの賞味も離宮の魅力であったことからみると,離宮の位置は和泉監衙(現,大阪府和泉市府中町御館森(みたちもり))付近と推定される。ちなみに允恭天皇が衣通郎姫(そとおりのいらつめ)のため設けた茅渟宮(ちぬのみや)は猟場の日根野(日根郡)付近にあったと考えられ(《日本書紀》),宮跡と称されるものが泉佐野市上之郷にあり,元正天皇の珍努宮の位置は別である。
執筆者:井上 薫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報