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吉野宮 よしのきゅう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

吉野宮
よしのきゅう

飛鳥・奈良時代の歴代天皇が相次いで行幸した古代の離宮。その所在は不明であったが,奈良県吉野郡吉野町宮滝遺跡が有力視されていた。 1989年6月,奈良県立橿原考古学研究所の発掘調査により,同遺跡周辺一帯で聖武天皇期 (724~749年) に造営された大規模な建物跡が確認され,「吉野宮=宮滝」説を裏付けた。

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デジタル大辞泉の解説

よしの‐の‐みや【吉野宮】

吉野町宮滝にあったと推定されている古代の離宮。斉明天武持統文武元正聖武など各天皇の行幸があった。
吉野行宮(よしののあんぐう)

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百科事典マイペディアの解説

吉野宮【よしののみや】

奈良県の吉野川右岸にあった古代の離宮(りきゅう)。所在地については諸説あったが,現在は吉野町宮滝(みやたき)の地にほぼ確定された。《古事記》《日本書紀》には応神天皇雄略天皇が吉野宮に行幸した記事がみえるが,7世紀中頃の造営と推測されている。

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世界大百科事典 第2版の解説

よしののみや【吉野宮】

奈良県の吉野川右岸(北側)にあった古代の宮(離宮)。元来の吉野は中央構造線の走る吉野川右岸の野や山を指しており,吉野寺(比曾寺とも,大淀町比曾),吉野山口神社(吉野町山口),吉野宮がこの地域に所在した。《古事記》《日本書紀》によれば,応神・雄略朝に吉野宮に行幸した記事がみえるが,確実には656年(斉明2)に造営されたとみるべきだろう。壬申の乱の勃発前夜に大海人皇子(後の天武天皇)は半年余吉野宮に隠栖していたし,679年(天武8)5月5日に天武天皇は皇后(後の持統天皇)や草壁皇子以下の6皇子と,吉野宮で有名な誓約を行っている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

吉野宮
よしののみや

吉野川沿いに置かれた古代の離宮。『日本書紀』斉明天皇(さいめいてんのう)2年条に「吉野宮を作る」とあり、以来天武(てんむ)・持統・文武(もんむ)・元正(げんしょう)・聖武(しょうむ)の各天皇は、この離宮へしばしば行幸した。なかでも吉野行幸を繰り返したのは持統天皇で、正史にとどめる記事で33回を数える。この離宮の維持を目的に、奈良時代の前半期には芳野監(よしのげん)が置かれた。『日本書紀』には吉野宮のことは古くから記事があり、応神天皇(おうじんてんのう)天皇19年、雄略天皇2年、同4年の各条にみえる。倭王(わおう)が古くからこの土地に特別の関心をもっていたことが知られる。吉野川上流の吉野町宮滝(みやたき)で長年にわたり行われてきた発掘調査により、河岸段丘上で飛鳥時代から奈良時代の掘立柱建物や石敷・苑池遺構がみつかり、この宮滝遺跡が吉野宮の遺跡地と考えられている。[狩野 久]
『奈良県立橿原考古学研究所編『宮滝遺跡 遺構編』(『奈良県史跡名勝天然記念物調査報告第71』・1996・奈良県教育委員会)』

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世界大百科事典内の吉野宮の言及

【宮滝遺跡】より

…敷石遺構は大量の奈良時代後期の瓦を伴い,その年代は平城宮造営時をさかのぼらないが,掘立柱建物などはそれよりも古い年代が推定できる。文献に記載のある吉野宮・吉野離宮の一部に相当する可能性が強いが,目下のところ確証はない。【泉 拓良】。…

【離宮】より

行宮(あんぐう)が臨時の施設であるのに対し,恒久的施設である点が異なる。 史上著名な離宮に,古代の吉野宮珍努(ちぬ)宮の両離宮,中世の鳥羽離宮,近世の修学院(しゆがくいん)離宮などがある。吉野宮は《日本書紀》の応神紀に初めてみえ,壬申の乱前の大海人(おおあま)皇子(後の天武天皇)隠棲の地として,特に天武系皇統の行幸がしばしばあった。…

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