班子女王(読み)はんしじょおう

改訂新版 世界大百科事典 「班子女王」の意味・わかりやすい解説

班子女王 (はんしじょおう)
生没年:833-900(天長10-昌泰3)

平安前期の女御。桓武天皇の子仲野親王と当宗氏女との間に生まれる。仁明天皇の子時康親王光孝天皇)と結婚し,夫の即位により女御となり,次いで子宇多天皇の即位によって皇太夫人,後さらに皇太后となる。山城国に浄福寺建立した。彼女の宮で催された《寛平后宮(きさいのみや)歌合》は,《古今和歌集》の勅撰にいたる和歌復興過程における画期的な試みであった。〈洞院太后〉の称がある。
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関連語 きさい 歌合

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「班子女王」の解説

班子女王 はんしじょおう

833-900 平安時代前期,仲野親王の王女
天長10年生まれ。母は当宗(まさむね)氏。時康親王(光孝天皇)の妃となり,定省(さだみ)親王(宇多天皇)らを生む。元慶(がんぎょう)8年光孝天皇即位により女御(にょうご)。仁和(にんな)3年宇多天皇即位によって皇太夫人,のち皇太后となる。洞院太后と称された。山城(京都府)浄福寺を建立。従二位。昌泰(しょうたい)3年4月1日死去。68歳。

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世界大百科事典(旧版)内の班子女王の言及

【仲野親王】より

…親王は奏寿宣命の道に秀で,世の模範とされた。その女班子(はんし)女王が光孝天皇の女御となり,子定省親王が即位(宇多天皇)したため,外祖として一品太政大臣が贈られた。【佐藤 宗諄】。…

※「班子女王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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