仲野親王 (なかのしんのう)
生没年:792-867(延暦11-貞観9)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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仲野親王
没年:貞観9.1.17(867.2.25)
生年:延暦11(792)
平安前期の皇族。桓武天皇と藤原大継の娘河子の子。利発で寛大な性格であったといい,藤原緒嗣から伝授された「奏寿宣命の道」(寿詞を奏し宣命を読誦する法)は当時の模範とされ,自邸六条第において藤原基経や大江音人らに伝え習わせたという。弾正台の長官などを経て,嘉祥3(850)年式部卿。生涯に男子14人,娘15人をもうけ,このうち班子女王所生の宇多天皇が即位したことで外祖父となり,没後仁和3(887)年,一品,太政大臣を追贈されている。右京区太秦箕山町にある前方後円墳が墓所(高畠墓)と伝えられているが,明治期に治定されたもので,形状からいっても疑わしい。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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仲野親王 なかのしんのう
792-867 平安時代前期,桓武(かんむ)天皇の皇子。
延暦(えんりゃく)11年生まれ。母は藤原河子(かし)。中務卿(なかつかさきょう),大宰帥(だざいのそち)などをへて嘉祥(かしょう)3年式部卿,のちふたたび大宰帥となった。寿詞(よごと)や宣命を奏し読誦(どくじゅ)する奏寿宣命の法にすぐれた。娘の班子(はんし)女王は宇多天皇を生んだ。貞観(じょうがん)9年1月17日死去。76歳。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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