改訂新版 世界大百科事典 「仲野親王」の意味・わかりやすい解説 仲野親王 (なかのしんのう)生没年:792-867(延暦11-貞観9) 桓武天皇の皇子,母は藤原河子。814年(弘仁5)四品に叙され,827年(天長4)中務卿,ついで大宰帥,弾正尹をへて二品になり,850年(嘉祥3)式部卿,ついで再度大宰帥を歴任した。864年(貞観6)には輦車に乗って宮中に出入することがとくに許された。親王は奏寿宣命の道に秀で,世の模範とされた。その女班子(はんし)女王が光孝天皇の女御となり,子定省親王が即位(宇多天皇)したため,外祖として一品太政大臣が贈られた。執筆者:佐藤 宗諄 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「仲野親王」の解説 仲野親王 なかのしんのう 792-867 平安時代前期,桓武(かんむ)天皇の皇子。延暦(えんりゃく)11年生まれ。母は藤原河子(かし)。中務卿(なかつかさきょう),大宰帥(だざいのそち)などをへて嘉祥(かしょう)3年式部卿,のちふたたび大宰帥となった。寿詞(よごと)や宣命を奏し読誦(どくじゅ)する奏寿宣命の法にすぐれた。娘の班子(はんし)女王は宇多天皇を生んだ。貞観(じょうがん)9年1月17日死去。76歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by