ストッパード(その他表記)Stoppard, Tom

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ストッパード」の意味・わかりやすい解説

ストッパード
Stoppard, Tom

[生]1937.7.3. チェコスロバキア(現チェコ),ズリーン
[没]2025.11.29. イギリス,ドーセット
トム・ストッパード。チェコスロバキア生まれのイギリスの劇作家。原名 Tomas Straussler。長い創作活動を通じて巧みな構成,独創的な展開に支えられた数々の作品を発表し,それらはことばそのものが放つ輝きに満ちており,高く評価された。
ユダヤ系の家に生まれ,ナチス侵攻をうけて 1939年に家族ともどもシンガポールに逃れる。1942年の日本軍侵攻後に父が亡くなり,母,きょうだいとともにインドに行く。1946年に母がイギリス将校のケネス・ストッパードと結婚し,まもなくイギリスに移住。ヨークシャーのポックリントン・スクールを卒業後,1954年にブリストルジャーナリストとして働く。ロンドンに移り,1960年に戯曲の執筆を始める。最初の作品『水上の散歩』A Walk on the Water(1960)は 1963年にテレビドラマとして放映された。同作の舞台版は一部書き加えられ,1968年に『自由人登場』Enter a Free Manとタイトルを変えてロンドンで上演された。ウィリアム・シェークスピアの『ハムレット』では端役にすぎない 2人の学友を主人公にして人生の不条理を追究した独創的な作品『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』Rosencrantz and Guildenstern are Dead(1964~65)は 1966年にエディンバラ・フェスティバルで上演された。同年には唯一の小説となる『マルキスト卿とムーン氏』Lord Malquist & Mr. Moonが刊行された。しかし,戯曲でより成功を収め,『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』が 1967年にナショナル・シアターのレパートリー作品となると,ブロードウェーにも進出し,またたく間に国際的な名声を得た。
その後,『ほんとうのハウンド警部』The Real Inspector Hound(1968),『ジャンパーズ』Jumpers(1972),『トラベスティーズ』Travesties(1974。トニー賞最優秀演劇作品賞),『良い子はみんなご褒美がもらえる』Every Good Boy Deserves Favour(1978),『夜も昼も』Night and Day(1978),『未知の国』Undiscovered Country(1980。アルトゥール・シュニッツラーの戯曲『広い国』Das Weite Landに基づく),『一発逆転』On the Razzle(1981。ヨハン・ネストロイの戯曲『楽しきかな憂さ晴らし』Einen Jux will er sich machenに基づく)と成功作が続いた。トニー賞受賞作の『リアル・シング』The Real Thing(1982)は劇作家を主人公に芸術と現実をテーマにした初のロマンチック・コメディで,『アルカディア』Arcadia(1993)はダービーシャーの屋敷を舞台に 19世紀のロマン主義と 20世紀のカオス理論を交錯させた。詩人 A.E.ハウスマンを題材にした『愛の発明』The Invention of Loveは 1997年に初演された。三部作『コースト・オブ・ユートピア──ユートピアの岸へ』The Coast of Utopia(2002)は「船出」Voyage,「難破」Shipwreck,「漂着」Salvageからなり,19世紀のロシアの亡命知識人たちの人生や論争を描き,トニー賞最優秀演劇作品賞を受賞した。フランスの劇作家ジェラルド・シブレラスの作品を翻訳した『ヒーローズ』Heroes(2005)は元フランス兵の老人ホームを舞台にし,ローレンス・オリビエ賞最優秀新作喜劇賞を受賞した。『ロックンロール』Rock'n'Roll(2006)は 1968年から 1990年にかけてのイギリスとチェコスロバキアを往来する物語である。『ハード・プロブレム』The Hard Problem(2015)では難問「思考とはなにか?」に向き合った。『レオポルトシュタット』Leopoldstadt(2020)は 20世紀初頭からホロコーストまでのユダヤ人家族を描き,批評家に絶賛され,ローレンス・オリビエ賞新作戯曲賞を受賞した。
数多くのラジオドラマも執筆し,『イン・ザ・ネイティブ・ステート』In the Native State(1991)はのちにストッパードによって舞台作品『インディアン・インク』Indian Ink(1995)に再構成された。テレビドラマでは『プロフェッショナル・ファウル』Professional Foul(1977)が注目作である。映画では『愛と哀しみのエリザベス』The Romantic Englishwoman(1975),『デスペア 光明への旅』Despair(1978),『未来世紀ブラジル』Brazil(1985),みずからが監督を務めた映画版『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』(1990)でそれぞれ脚本を手がけた。アカデミー賞に輝いた『恋におちたシェイクスピア』Shakespeare in Love(1998)はマーク・ノーマンとの共同執筆。このほか,映画『宮廷料理人ヴァテール』Vatel(2000),『エニグマ』Enigma(2001),フォード・マドックス・フォードの四部作をもとにしたミニシリーズ『パレーズ・エンド』Parade's End(2012),レフ・トルストイ作品の映画化『アンナ・カレーニナ』Anna Karenina(2012),映画『チューリップ・フィーバー 肖像画に秘めた愛』Tulip Fever(2017。共同執筆)の脚本も書いた。
1978年大英帝国三等勲功章 CBEを受章,1997年ナイトに叙される。2009年高松宮殿下記念世界文化賞受賞。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ストッパード」の意味・わかりやすい解説

ストッパード
すとっぱーど
Sir Tom(as) Stoppard
(1937―2025)

イギリスの劇作家。チェコスロバキアの生まれ。父親は会社専属の医師であったが、ユダヤ系であったことから、ナチスの迫害を避けるため家族を連れてシンガポールの支店に移り、日本軍の侵攻直前に、自分は残って家族をインドに疎開させた。その父親の死後、母親がインド駐在のイギリスの軍人と再婚してストッパード姓となる。イギリスに渡り、17歳で学校を切り上げジャーナリストの道に進んだ。劇評などを書くかたわら、短編小説やラジオ用放送劇などを試みるうち、習作の一つが1963年にテレビ放映されデビューを果たした。その後1966年にエジンバラ・フェスティバルのフリンジで上演された『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』が翌1967年にナショナル・シアターで上演され、一躍新進劇作家として注目を集めた。この作品は、『ハムレット』の2人の端役をベケット風の主役に仕立て、本体の『ハムレット』を劇中劇に取り込み、虚構と現実の相対性、人間存在の不確実性に迫った秀作である。その後も奇抜な着想と大胆な言語実験を主軸に、演劇の虚構性をテーマに隠し込みながら現代に鋭く切り込む意欲作を次々に発表、20世紀後半のもっとも重要な作家の一人と目されるようになった。代表作は『ほんとうのハウンド警部』(1968)、『ジャンパーズ』(1972)、『トラベスティーズ』(1974)、『夜も昼も』(1978)、『ほんもの』(1982)、『ハップグッド』(1988)など。小説に『マルクィスト卿(きょう)とムーン』(1966)がある。ほかに映画の脚本も手がけ、1990年に『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』を自ら脚本・監督を務め映画化した。話題作『恋におちたシェイクスピア』(1999)の脚本にも名を連ねている。

[大場建治]

『現代演劇研究会編『現代演劇5――特集トム・ストッパード』(1981・英潮社)』『トム・ストッパード著、吉田美枝訳『リアルシング――ほんもの』(1986・劇書房)』『現代演劇研究会編『現代英米の劇作家たち』(1990・英潮社新社)』『松岡和子訳『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』(1994・劇書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

[名](スル)一定の主義・主張がなく、安易に他の説に賛成すること。「多数派に付和雷同する」[補説]「不和雷同」と書くのは誤り。[類語]矮人わいじんの観場かんじょう・同意・賛同・支持・賛成・雷同・便乗・...

付和雷同の用語解説を読む