日本大百科全書(ニッポニカ) 「クローデル」の意味・わかりやすい解説
クローデル
くろーでる
Paul Claudel
(1868―1955)
フランスの劇作家、詩人、外交官。8月6日北フランス、エーヌ県の一小村に生まれる。1882年以来パリに住み、政治学を学びながら実証主義、象徴主義など世紀末の諸思潮の洗礼を受け、まず詩作に手をそめたが、86年ランボーの詩とカトリックの恩寵(おんちょう)体験により超自然な生命力を啓示されて回心。やがて、とりわけマラルメやワーグナー、アイスキロスやシェークスピアなどの影響下に、劇作に着手、『黄金の頭(かしら)』(1890初稿・刊)、『都市』(1893初稿・刊)などを発表、早くも呼吸にあわせた独特な劇詩法を編み出し、人間の内と外とを一つにした宇宙の生きた象徴的構造というドラマツルギーが一部識者に注目された。90年外交官試験に合格、93年アメリカを振り出しに長い諸外国での外交官生活が始まるが、それら各地での人間的・文化的・演劇的体験が第二期の諸作『交換』(1894初稿)、『真昼に分かつ』(1905執筆)、『マリアへのお告げ』(1912初演)、三部作『人質』(1911刊)、『硬いパン』(1914執筆)、『凌辱(りょうじょく)された神父』(1916執筆)に生かされて、彼の劇詩的世界はいっそう動的で客観的で具象的になった。1921年(大正10)駐日大使として東京に赴任、関東大震災を体験して25年帰国、27年ワシントン、33年ブリュッセルを最後に外交官生活の幕を閉じるが、文筆活動は本格化する。このもっとも円熟した晩年の総仕上げの時期では、時間・空間的にドラマの規模がさらに自在に広がり、彼の世界はまさしくトータルに視聴覚的なカオスを現出している。日本で執筆された『繻子(しゅす)の靴』を筆頭に、『クリストファー・コロンブスの書』(1929刊)、『火刑台上のジャンヌ・ダルク』(1938初演。なおこれに先だち1935年、オネゲルの作曲でオペラ化、上演)などがそれである。
クローデルにあっても、カトリック作家の例に漏れず最後には神の声が聞こえ、それによる救いがくることはいうまでもないが、彼の演劇的功績は、そのプロセスにおいて混沌(こんとん)と宇宙的に地上的な人間と、その内外に存在する超越的なものとの対立がユニークに劇化され、カトリック的でありながらも、それを突き抜けているところにある。
なお、彼はしばしば先だつ稿に手を入れ、何度も書き改めていることと、彼の戯曲は上演がむずかしいため、本格上演は1940年代以降、ことにジャン・ルイ・バローとの出会いを待たなければならなかったことは特記しておきたい。46年からアカデミー・フランセーズ会員となり、55年2月23日パリで没した。
[渡辺 淳]
『山本功訳・編『クローデル詩集』(1967・思潮社)』▽『渡辺守章他訳『世界文学大系56 クローデル ヴァレリー』(1976・筑摩書房)』▽『渡辺守章著『ポール・クローデル、劇的想像力の世界』(1975・中央公論社)』