フランスの詩人,劇作家,外交官。20世紀前半におけるフランス文学の最も重要な存在の一人。北フランスのエーヌ県タルドノアの小村に,大蔵省地方官吏の息子として生まれる。姉のカミーユは,ロダンの愛人となる女流彫刻家。〈唯物主義の徒刑場〉とクローデルが呼ぶ世紀末パリの精神的風土の中で,1886年,ランボーの散文詩《イリュミナシヨン》と《地獄の一季節》に強い衝撃を受け,同年12月25日(降誕祭の日),パリのノートル・ダム大聖堂での啓示によってカトリックの信仰を取り戻した。この〈回心〉の時期に,87年からS.マラルメの〈火曜会〉に出席。詩句の本質,その演劇や音楽とのかかわりについてのマラルメ晩年の思索から深い示唆を受ける。ワーグナーの神話的楽劇,アイスキュロスの悲劇(のちに自ら〈オレスティア三部作〉を翻訳している),シェークスピアとエリザベス朝演劇,あるいは89年パリ万国博で見た安南の芝居といった,始原的でもあり統合的でもある演劇の要請のもとに,独自の自由詩型(クローデル風長短詩句(ベルセ))による《黄金の頭(かしら)Tête d'or》(初稿1889,90刊,改稿1894)に始まる初期劇作を行うが,それは地上世界において絶対の呼びかけを聞いてしまった青年詩人の野性の魂の多様な表白であった(《都市La ville》初稿1890,改稿1898,《交換L'échange》1894,《七日目の休息Le repos du septième jour》1896)。肉体の息と精神の息を同時に目に見えるものにするその詩句は,読む者,演ずる者の全存在を動員する音声言語の譜面だといえる。
詩人としての活動と並行して,90年に外交官試験に首席で合格して以来,外交官として,ニューヨーク,ボストン,上海,福州,天津,北京,プラハ,フランクフルト,ハンブルクの領事館勤務を経て,1919年にリオ・デ・ジャネイロ駐在公使,さらに大使として,東京(1921-27),ワシントン(1927-33),ブリュッセル(1933-35)に駐在。国際政治の現場に通じ,多様な異文化と接触した経験は,その詩的・演劇的宇宙に全地球的ひろがりを与えている。特に中国と日本の伝統文化の体験とその省察は,散文詩詩集《東方の認識Connaissance de l'Est(1900。1906増補)や評論《朝日のなかの黒い鳥L'Oiseau noir dans le Soleil levant》(1927)に結晶している。また老荘思想や能についての考察の延長線上にある《オランダ絵画序説》(1935),美術論集《目は聴くL'œil écoute》(1946)も,優れた造形芸術論であると同時に鋭い文明論である。
しかしクローデル劇が真に認められるようになったのは,43年,J.L.バロー演出による《繻子(しゆす)の靴Le soulier de satin》(1925年東京で完成)の初演以来のことである。《黄金の頭》(これも1959年になって初演)以来の〈宇宙的統一を求める征服者の情念(パッシヨン)の受難曲(パッシヨン)〉と,詩人の実存的危機の劇,つまり自身の体験でもある聖職への意志の挫折と人妻との禁じられた恋を主題とする《真昼に分かつPartage de Midi》(1906。1948初演)の〈禁じられた情念の劇〉とを統合したのが,〈4日間のスペイン劇〉と副題されたこの《繻子の靴》である。時代をスペイン黄金時代に,舞台を全世界にとり,地上世界の征覇と統一の野望に燃える西洋文明の栄光と悲惨の劇の中で,新大陸の征服者たるドン・ロドリグと若く美しい人妻ドニャ・プルエーズとの地上では結ばれぬ恋が,いかにして救霊の契機となるかを主筋にした膨大な戯曲であり,テーマも構造も技法もクローデルの集大成にふさわしい全体演劇である。そのような全体演劇の実験は,さらに《クリストファー・コロンブスの書物》(1927。D.ミヨーがオペラなどの形で作曲)や《火刑台上のジャンヌ・ダルク》(1934。A.オネゲル作曲)に引き継がれる。クローデル演劇は,近代劇に宗教的次元を回復することで,西洋近代の世界と人間の根拠を問い直そうとする。したがって,故郷タルドノアの口碑と詩人の想像力の原風景の上に構築された中世風奇跡劇《マリアへのお告げ》(1911。決定稿1948)を除くと,アナーキスト革命の《都市》,アメリカ金融資本主義を舞台とした《交換》,大革命後の19世紀フランス・ブルジョアジーの系譜学である《人質》(1910),《堅いパン》(1914)など,いずれもなまなましい肉の厚みのある西洋近代人の劇の体現であり再読解である。
その抒情詩も,カトリックの典礼や神学,聖書への照合(レフェランス)に満ちているが,《五大賛歌》(1910),《三声による頌歌》(1914)に代表されるように,詩句と詩作の根拠についての実践的反省に貫かれている(理論的散文は《詩法》1907,《立場と提言》1928,など)。宗教詩編《神の年の御恵みの冠》(1915)の後には,日本の短詩と書に想を得た《四風帖Souffle des quatre souffles》(1926),《百扇帖Cent phrases pour éventail》(1927)を残し,また言葉による想像力の探求は,《ポール・クローデル,黙示録に問う》(1952)をはじめとする聖書の詩的解釈学を生んでいる。46年アカデミー・フランセーズ会員。55年2月23日,パリで死去。墓は晩年に住んだブラング(イゼール県)の居城にある。
執筆者:渡辺 守章
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フランスの劇作家、詩人、外交官。8月6日北フランス、エーヌ県の一小村に生まれる。1882年以来パリに住み、政治学を学びながら実証主義、象徴主義など世紀末の諸思潮の洗礼を受け、まず詩作に手をそめたが、86年ランボーの詩とカトリックの恩寵(おんちょう)体験により超自然な生命力を啓示されて回心。やがて、とりわけマラルメやワーグナー、アイスキロスやシェークスピアなどの影響下に、劇作に着手、『黄金の頭(かしら)』(1890初稿・刊)、『都市』(1893初稿・刊)などを発表、早くも呼吸にあわせた独特な劇詩法を編み出し、人間の内と外とを一つにした宇宙の生きた象徴的構造というドラマツルギーが一部識者に注目された。90年外交官試験に合格、93年アメリカを振り出しに長い諸外国での外交官生活が始まるが、それら各地での人間的・文化的・演劇的体験が第二期の諸作『交換』(1894初稿)、『真昼に分かつ』(1905執筆)、『マリアへのお告げ』(1912初演)、三部作『人質』(1911刊)、『硬いパン』(1914執筆)、『凌辱(りょうじょく)された神父』(1916執筆)に生かされて、彼の劇詩的世界はいっそう動的で客観的で具象的になった。1921年(大正10)駐日大使として東京に赴任、関東大震災を体験して25年帰国、27年ワシントン、33年ブリュッセルを最後に外交官生活の幕を閉じるが、文筆活動は本格化する。このもっとも円熟した晩年の総仕上げの時期では、時間・空間的にドラマの規模がさらに自在に広がり、彼の世界はまさしくトータルに視聴覚的なカオスを現出している。日本で執筆された『繻子(しゅす)の靴』を筆頭に、『クリストファー・コロンブスの書』(1929刊)、『火刑台上のジャンヌ・ダルク』(1938初演。なおこれに先だち1935年、オネゲルの作曲でオペラ化、上演)などがそれである。
クローデルにあっても、カトリック作家の例に漏れず最後には神の声が聞こえ、それによる救いがくることはいうまでもないが、彼の演劇的功績は、そのプロセスにおいて混沌(こんとん)と宇宙的に地上的な人間と、その内外に存在する超越的なものとの対立がユニークに劇化され、カトリック的でありながらも、それを突き抜けているところにある。
なお、彼はしばしば先だつ稿に手を入れ、何度も書き改めていることと、彼の戯曲は上演がむずかしいため、本格上演は1940年代以降、ことにジャン・ルイ・バローとの出会いを待たなければならなかったことは特記しておきたい。46年からアカデミー・フランセーズ会員となり、55年2月23日パリで没した。
[渡辺 淳]
『山本功訳・編『クローデル詩集』(1967・思潮社)』▽『渡辺守章他訳『世界文学大系56 クローデル ヴァレリー』(1976・筑摩書房)』▽『渡辺守章著『ポール・クローデル、劇的想像力の世界』(1975・中央公論社)』
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…バレリーはまた,詩とは読者の精神に,ある特殊な状態を喚起する装置であると考え,詩作においてもそれを実践したが,そこにはマラルメの理論が反映している。また,バレリーとともに,象徴主義の後継者として記憶しておかねばならないのは,クローデルである。万物が共生する宇宙の限りない運動を創造主の天地創造のいぶきを模して表現する営みとしての詩という考えには,象徴主義からくみ取ったものが確実に読み取れる。…
…彼は初め師C.デュランから,どんな細部にも不協和音を立てない調和美の演劇を学び,それを基盤にあらゆる演劇の要素を一体化し,劇場空間を一つの詩的宇宙に変容させることに成功する。53年のP.クローデル作《クリストファー・コロンブスの書物》の上演におけるバロー演出は,クローデル劇の持つ潜在的な全体性を,映画と演劇の結びつきによって実現する記念碑的なものであった。劇の筋にはめ込まれた映画は,ちょうど1枚の貨幣の表と裏のように,相対立する二つの次元(目に見えるものと見えないもの,外と内,肉体と精神,自然と超自然など)を統合しつつ観客に呈示した。…
…旧制高校のドイツ語教育を軸とするドイツ文化の影響の前に,幕末以来のフランス嗜好が衰えるのを憂えたフランスは,第1次大戦後まずジョッフル元帥を訪日させ,続いて東洋学者クーランをはじめ多くの使節を送ってきた。彼らの報告に基づき,詩人大使P.クローデルと渋沢栄一は24年財団法人日仏会館を東京に開き,フランス人研究者を常駐させた。クローデルはまた貴族院議員稲畑勝太郎と協力して27年京都日仏学館を開き,フランス語,フランス文化の普及に努めた。…
…なお,16世紀後半の宗教戦争の激化の中で,絶対王権への共同幻想を結晶させる役割を果たすのはイタリア起源の〈宮廷バレエ〉であり(1581年の《王妃の演劇的バレエ》に始まる),それはのちにルイ14世によるベルサイユ宮における《魔法の島の楽しみLes plaisirs de l’ile enchantée》(1664)を頂点とする,古代神話の衣装をまとった絶対王権顕揚の世俗的大祝典劇を生む。キリスト教の典礼や物語にのっとった宗教劇は,バロック時代の劇作や,J.deロトルー《聖ジュネスト》,コルネイユ《ポリュクト》あるいはラシーヌ晩年の2悲劇の例はあるものの,以後は19世紀末のP.クローデルの出現まで姿を消す。 中世ゴシック都市における大聖史劇上演には,同時代の他の舞台表現,すなわち〈阿呆劇(ソティsottie,sotie)〉〈教訓劇(道徳劇)moralité〉〈笑劇farce〉などもプログラムに組み込まれることが多かった。…
※「クローデル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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