ピスカートル(その他表記)Erwin Piscator

改訂新版 世界大百科事典 「ピスカートル」の意味・わかりやすい解説

ピスカートル
Erwin Piscator
生没年:1893-1966

ドイツ演出家,劇場監督ウルムに生まれ,俳優としてミュンヘン宮廷劇場の舞台を踏んだのち,第1次大戦に参戦,戦後は平和主義者,社会主義者として政治(左翼演劇を提唱し,1920年代にベルリンでアジプロ的プロレタリア演劇運動を開始した。幻灯,映画,回り舞台などの舞台メカニズムや,朗読,講演,シュプレヒコールなどを多用して,上演戯曲の芸術性(文学性)よりも時局性や報道性を重視する一種の〈政治レビュー劇〉を多数演出した。代表作にトラーの《どっこい生きている》(1927),ハシェクの《兵士シュベイクの冒険》(1928)などがある。その演出はやや情動的であったとはいえ,ブレヒト叙事演劇に与えた影響は少なくない。第2次大戦後は62年からベルリン自由民衆舞台の劇場監督を務め,ホーホフートキップハルト,P.ワイスらの大作を世に送り,60年代の〈ドキュメンタリー劇〉ブームの仕掛人になった。主著に《政治演劇》(1929。邦訳《左翼劇場》1931)。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ピスカートル」の意味・わかりやすい解説

ピスカートル
ぴすかーとる
Erwin Piscator
(1893―1966)

ドイツの演出家。本名Fischer。12月17日ウルムに生まれる。俳優修行をするうち第一次世界大戦に召集され、復員後ベルリンに出て、アジプロ劇風のプロレタリア劇場を創始した。1924年から民衆劇場活動を開始、大胆な古典改作や、映画や資料を多用した政治劇を上演、一方「赤いレビュー」の運動も並行して行ったが、27年に民衆劇場を追われ、ノレンドルフ広場のピスカートル舞台で活動を続けた。政治的、叙事的、技術的という三要素を総合した彼の政治演劇は、多くの協力者の共同作業で、劇場機構を駆使した斬新(ざんしん)な政治的作品『どっこい生きている』『ラスプーチン』『兵士シュベイクの冒険』を生み出した。ブレヒトもガスバラ、ラーニアなどとともに彼の活動に協力し、その影響を受けた。しかし経済的に破産し、戦線を縮小して活動を続けたが、31年に映画撮影のため当時のソ連に行き、そのまま亡命。36年にはアメリカに移り、おもに演劇教育に従事した。第二次世界大戦後、旧西ドイツに帰り、62年に自由民衆劇場の監督にカムバック、ホーホフート、キップハルト、ワイスなどの作品を演出し、60年代の政治的な記録演劇の機運を招いたが、活動なかばで66年6月9日急死した。演劇は彼にとって、つねに政治的な信条の表明の場であった。

[岩淵達治]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ピスカートル」の意味・わかりやすい解説

ピスカートル
Piscator, Erwin

[生]1893.12.17. ウルム
[没]1966.3.30. シュターンベルク
ドイツの演出家。 M.ラインハルトに学び,構成舞台や群衆場面を駆使して演劇の政治性,社会性を強調した。 1920年代にはフォルクスビューネを主宰したが,1933年アメリカに亡命,演出や演技術を教えた。 47年ドイツに帰り,W.ノイマンと共同脚色したトルストイの『戦争と平和』 (1955) をはじめ,R.ホーホフートの『神の代理人』 (63) ,P.ワイスの『追究』 (65) その他を演出した。 62年には西ベルリンにフライエ・フォルクスビューネ (自由民衆舞台) を再建。主著『政治演劇』 Das Politische Theater (29) 。

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百科事典マイペディア 「ピスカートル」の意味・わかりやすい解説

ピスカートル

ドイツの演出家。1920年ベルリンでプロレタリア劇場を創設し,政治的演劇をめざした。第2次大戦中は米国に亡命。1953年西ドイツに復帰,民衆劇場を中心に幾多の話題作を手がけた。主著《政治劇場》(1929年)。

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世界大百科事典(旧版)内のピスカートルの言及

【演出】より

… 20世紀に入るとドイツのM.ラインハルトは豊かな想像力と構成力によって絢爛,雄大な演出力を示したが,すぐれた俳優指導者でもあった。ドイツではさらに叙事演劇の先駆者E.ピスカートルが政治的直接行動をめざすプロレタリア劇場を創設(1920)したが,彼の協力者であるB.ブレヒトによって,ひきつづき叙事演劇による異化効果が探究された。ブレヒトは舞台に真実らしい幻想をつくりだすことを拒否し,観客を劇の世界に同化させないよう,その意識をたえず現実に引き戻す工夫をした。…

【ドキュメンタリー劇】より

…〈記録演劇〉ともいう。演出家ピスカートルがパケAlfons Paquet(1881‐1944)の《旗》(1924),《津波》(1926)などの演出にあたって映写機などドキュメンタル機器を用いたのがはじまりで,事実性の強調に写真や映画が利用された。その後オーディオ・ビジュアル機器の開発,発展もともなってこの演出方法は,社会性を重んじる左翼的演劇以外にもひろまった。…

【プロレタリア演劇】より

…1919年以来,いわゆる〈移動演劇〉の形で労働者街に進出して,シュプレヒコールや寸劇などによって,労働者観客の間に受け入れられ,一つの政治・文化運動となっていた。E.ピスカートルがやはり共産党の依頼で行った〈赤いレビュー〉では,カバレット(キャバレー)の形式などもとりいれられ,素人の労働者が上演に参加している。23年にソビエトで始まった〈菜っ葉服隊〉も同じような運動であり,この劇団の27年の客演も刺激となって,ドイツでは29年には120ものアジプロ劇団が生まれ,〈1931集団(トルッペ)〉などには職業俳優も参加するようになっている。…

【民衆劇場】より

…20年代に組織はさらに発展し,ベルリンから全ドイツにまで広がっている。24年からはE.ピスカートルがプロレタリア演劇を目ざす活動を始めたが,社民党系の会員には過激すぎて,彼は27年にここを去り,K.マルティンが監督となって多くの新即物主義的な戯曲を上演した。ナチス時代には解体されたが,第2次大戦後分裂した東西ドイツでそれぞれの民衆劇場が復活した。…

※「ピスカートル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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