ソ連邦の俳優,演出家。1896年モスクワ・フィルハーモニー演劇学校に入学。V.I.ネミロビチ・ダンチェンコの指導を受ける。98年モスクワ芸術座に入り,スタニスラフスキーの愛弟子となる。1902年退団,地方で劇団を結成し演出も始める。シンボリズム演劇の試みを認められ,06年ペテルブルグのコミサルジェフスカヤ劇団に招かれる。08年同市の帝室劇場演出家となる。音楽,美術を重視したモリエールの《ドン・ジュアン》(1910),レールモントフの《仮面舞踏会》(1917)などを上演。コメディア・デラルテ,能,歌舞伎を演劇の原点とする演劇論を展開した。十月革命の翌18年共産党に入党,〈演劇の十月〉を旗印に革命にこたえる民衆劇を目指し,マヤコーフスキーの《ミステリア・ブッフ》(1918)や構成主義的なクロムランクの《堂々たるコキュ》(1922)などを,サーカスや見世物小屋の手法をとりいれて上演した。俳優訓練法ビオメハニカを考案し,22年モスクワにメイエルホリド劇場を創設,マルティネの《たちあがる大地》(1923),オストロフスキーの《森林》(1924),エルドマンの《委任状》(1925),ゴーゴリの《検察官》(1926)などで賛否の激論をよぶ。マヤコーフスキーの《南京虫》(1929),ビジネフスキーの《決戦》(1931)などを経てデュマの《椿姫》(1934)を上演するが,時代は社会主義リアリズム一辺倒となり,彼の演劇的演劇の探求は敵視され始める。36年〈メイエルホリド流に反対するメイエルホリド〉という講演で自己弁護もするが,38年劇団を閉鎖され,39年逮捕,40年粛清へと続く。55年名誉を回復された。弟子にエイゼンシテインらがいる。
執筆者:佐藤 恭子
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ロシアの演出家。ペンザのドイツ系ユダヤ人の実業家の家に生まれる。モスクワ大学法学部を中退、1896年モスクワ音楽愛好(フィルハーモニー)協会の音楽演劇学校に入る。98年にモスクワ芸術座の創立に俳優として参加し、『かもめ』『三人姉妹』『十二夜』などに出演したが、同座の写実主義・自然主義的傾向に飽き足らず、退団。1902年ヘルソンで地方巡業劇団を創立し、演出家、俳優としてさまざまな実験を行った。06年にはペテルブルグのコミサルジェフスカヤ劇場の主任演出家になり、08年からアレクサンドリンスキー劇場やマリンスキー劇場で活躍。『雷雨』『仮面舞踏会』などを演出しながら、マイニンゲン公劇団やコメディア・デラルテなどの影響のもとに様式演劇を追求し、ブロークの『見世物小屋』などで神秘的、象徴主義的演劇の実験を行った。十月革命(1917)を熱狂的に受け入れ、「演劇の十月」のスローガンのもとに革新的演劇を目ざし、演劇界の指導的地位についた。1920年にはモスクワにメイエルホリド劇場を創設、アジ・プロ劇の手法やサーカス芸を取り入れた斬新(ざんしん)な演出で古典劇の再評価上演をも行うとともに、独創的な肉体訓練「ビオメハニカ」を実践して、世界の前衛的な芸術運動に多大の影響を与えた。スターリン時代に形式主義の烙印(らくいん)を押され、38年劇場閉鎖、翌年逮捕、40年に処刑されたが、55年に名誉回復された。『ミステリア・ブッフ』『南京虫(なんきんむし)』『森林』『委任状』『検察官』『椿姫(つばきひめ)』などの名演出がある。
[中本信幸]
『佐藤恭子著『メイエルホリド』(1976・早川書房)』▽『エドワード・ブローン著、浦雅春訳『メイエルホリドの全体像』(1982・晶文社)』
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…ブレヒトは舞台に真実らしい幻想をつくりだすことを拒否し,観客を劇の世界に同化させないよう,その意識をたえず現実に引き戻す工夫をした。ソ連では,モスクワ芸術座の写実主義的傾向にあきたらず,独創的な肉体訓練を俳優に実践させ,世界の前衛的な芸術運動に多大な影響を与えたV.E.メイエルホリドが,反リアリズム,抽象美の舞台をつくりあげた。フランスではJ.コポーが,ビュー・コロンビエ座を創設(1913),裸の舞台で,戯曲を尊重し,俳優に自由な演技を求めた。…
…巡業で金を工面し,04年にコミサルジェフスカヤ劇場を創設。官憲の監視下にあるゴーリキーの《別荘人種》(1904),《太陽の子どもたち》(1905)を上演・主演したり,新進気鋭のメイエルホリドを招き,象徴主義演劇《ヘッダ・ガブラー》《修道女ベアトリーチェ》(1906)その他に主演もするが,彼の極端な反写実演劇に同調できず手を切る。以後アメリカ公演や地方巡業を続け,時代にこたえ,魂に訴える演劇づくりを模索したが,道半ばにして巡業地タシケントで天然痘のため死去した。…
…ソ連邦のメイエルホリドが提唱し,弟子たちにやらせた俳優の訓練法。初期のスタニスラフスキー・システムが俳優演技の基礎を内面体験におき,ひたすら〈そのつもりになる〉ことを主張したのに反発して,1917年の十月革命後提唱された。…
※「メイエルホリド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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