日本大百科全書(ニッポニカ) 「メイエルホリド」の意味・わかりやすい解説
メイエルホリド
めいえるほりど
Всеволод Емильевич Мейерхольд/Vsevolod Emil'evich Meyerhol'd
(1874―1940)
ロシアの演出家。ペンザのドイツ系ユダヤ人の実業家の家に生まれる。モスクワ大学法学部を中退、1896年モスクワ音楽愛好(フィルハーモニー)協会の音楽演劇学校に入る。98年にモスクワ芸術座の創立に俳優として参加し、『かもめ』『三人姉妹』『十二夜』などに出演したが、同座の写実主義・自然主義的傾向に飽き足らず、退団。1902年ヘルソンで地方巡業劇団を創立し、演出家、俳優としてさまざまな実験を行った。06年にはペテルブルグのコミサルジェフスカヤ劇場の主任演出家になり、08年からアレクサンドリンスキー劇場やマリンスキー劇場で活躍。『雷雨』『仮面舞踏会』などを演出しながら、マイニンゲン公劇団やコメディア・デラルテなどの影響のもとに様式演劇を追求し、ブロークの『見世物小屋』などで神秘的、象徴主義的演劇の実験を行った。十月革命(1917)を熱狂的に受け入れ、「演劇の十月」のスローガンのもとに革新的演劇を目ざし、演劇界の指導的地位についた。1920年にはモスクワにメイエルホリド劇場を創設、アジ・プロ劇の手法やサーカス芸を取り入れた斬新(ざんしん)な演出で古典劇の再評価上演をも行うとともに、独創的な肉体訓練「ビオメハニカ」を実践して、世界の前衛的な芸術運動に多大の影響を与えた。スターリン時代に形式主義の烙印(らくいん)を押され、38年劇場閉鎖、翌年逮捕、40年に処刑されたが、55年に名誉回復された。『ミステリア・ブッフ』『南京虫(なんきんむし)』『森林』『委任状』『検察官』『椿姫(つばきひめ)』などの名演出がある。
[中本信幸]
『佐藤恭子著『メイエルホリド』(1976・早川書房)』▽『エドワード・ブローン著、浦雅春訳『メイエルホリドの全体像』(1982・晶文社)』