日本歴史地名大系 「球磨仮屋跡」の解説 球磨仮屋跡くまかりやあと 熊本県:八代市植柳村球磨仮屋跡[現在地名]八代市植柳元町球磨川本流から南(みなみ)川が分岐する地帯の左岸にある。近世初期相良氏が植柳(うやなぎ)の一角を借地して設けた他領への出港基点。船手(水軍)・船方(船頭)の居住地などを含むこの港湾施設は明治初年まで存在した。元和六年(一六二〇)麦島(むぎしま)城代加藤右馬允正方は前年の大地震によって崩壊した麦島城に代わり、八代城(松江城)築城用の材木を相良氏に所望。承諾された返礼として正方は海辺に恵まれない人吉藩の船場として葦北(あしきた)郡の田浦(たのうら)を提供した。細川氏入国後仮屋は当地に所替となった(南藤蔓綿録)。寛永一四年(一六三七)の島原の乱時までは船手の根拠地的色彩が強かったが、その後商港としての機能へと変遷したといわれる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by