田浦(読み)たのうら

日本歴史地名大系 「田浦」の解説

田浦
たのうら

古代にみえる五島の浦で、唐に渡海する際の湊。福江島久賀ひさか島の間の田ノ浦瀬戸に臨む現田ノ浦町に比定される。「続日本紀」宝亀七年(七七六)閏八月六日条にみえる「松浦郡合蚕田浦」を、合蚕と田浦に分け、合蚕を田浦の村里とする見解(大日本地名辞書)、合蚕を田浦の対岸とみる説があるが(五島編年史)、また相子田あいこだの停とする見解があり、現上五島町相河あいこに比定される。この時の第一四次遣唐使船は大使を佐伯今毛人、副使大伴益立としてこの浦からの出航を控えながら順風に恵まれず、一ヵ月余も風待ちのままで、結局は一年の延期となり、閏八月に筑前博多大津に引返した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「田浦」の意味・わかりやすい解説

田浦
たのうら

熊本県南部、葦北(あしきた)郡にあった旧町名(田浦町(まち))。現在は芦北町(あしきたまち)の北端部を占める地域。旧田浦町は1958年(昭和33)町制施行。2005年(平成17)芦北町に合併。名称の「田浦」は、古来からの当該地域の呼称である「田浦郷」にちなむ。旧町域は、八代海(やつしろかい)に面し、おもに古生代堆積(たいせき)岩の九州山地北部からなる。山がちの地形が北東から南西方向に延び八代海に没する。耕地は海岸、河川沿いにしかなく、地域経済の中心は、かつての芦北林業(坑木用の松の短伐期林業)から転換を遂げた山麓(さんろく)傾斜地利用の甘夏ミカン栽培にある。現在は南九州自動車道の田浦インターチェンジもあるが、海岸沿いを通る肥薩(ひさつ)おれんじ鉄道(旧、JR鹿児島本線)、内陸部を通る国道3号などが建設あるいは改修される以前は、北の赤松太郎峠、南の佐敷(さしき)太郎峠が難所となり、もっぱら海上交通に依存していた。隣接町村につながる芦北海岸線の景観はすばらしく、1970年国民休養地として指定され、これが海洋観光開発の契機となった。芦北海岸県立自然公園域であり、景勝地として御立岬(おたちみさき)がある。1935年(昭和10)に創設されたカーボン工場は、数少ない第二次産業への就業機会をつくりだしている。

[山口守人]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「田浦」の意味・わかりやすい解説

田浦
たのうら

熊本県南部,芦北町北西部の旧町域。九州山地西端にあり,八代海に臨む。 1958年町制。 2005年芦北町と合体。全国屈指といわれるアマナツミカン栽培の中心地。電機工場がある。北方の八代市との境,旧鹿児島街道に三太郎峠の一つ赤松太郎峠 (138m) がある。景勝地御立岬を含む海岸一帯は芦北海岸県立自然公園に属する。

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百科事典マイペディア 「田浦」の意味・わかりやすい解説

田浦[町]【たのうら】

熊本県南西部,芦北郡の旧町。八代(やつしろ)海に面し,肥薩おれんじ鉄道が通じる。電極製造工場があり,柑橘(かんきつ)栽培が盛ん。黄金浜,海浦の海水浴場がある。2005年1月芦北町へ編入。32.76km2。5510人(2003)。

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改訂新版 世界大百科事典 「田浦」の意味・わかりやすい解説

田浦 (たのうら)

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