日本歴史地名大系 「田上中庄」の解説 田上中庄たなかみなかのしよう 滋賀県:大津市南部地域田上田上中庄現田上から上田上にかけての大戸(だいど)川流域に比定される。「経俊卿記」建長八年(一二五六)四月二〇日条の「中郷」を当庄とすることも(→田上山)、「北野社家日記」明応元年(一四九二)八月一七日条に「田上牧庄内中庄」とあるので、東方の田上牧(たなかみまき)庄に含まれていたと考えることもできる。文和四年(一三五五)一月七日、近江守護六角氏頼が「田上中庄年貢壱作半分」を兵粮料所として田上の沢氏に宛行っている(「氏重施行状案」近江南部文書)。この頃当庄の下司職・公文職は富塚曇瓊の相伝所領で、貞治五年(一三六六)六月五日これらの諸職を永源寺開山の寂室元光に寄進している(永源寺文書)。彼は半年後の一一月一五日にも庄「下司公文給并四段田」などを同寺に寄進している(同文書)。明徳二年(一三九一)一二月には山名氏清の被官十束・中屋が管領していた当庄地頭職が明徳の乱で没収され、幕府の奉公衆楢葉氏に宛行われており、以後地頭職は同氏が領有した(社家条々抜書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by