田中寛一
たなかかんいち
(1882―1962)
心理学者。岡山県の生まれ。1913年(大正2)京都帝国大学卒業。東京帝国大学大学院で松本亦太郎(またたろう)の指導を受け『心的動作に関する実験的研究』で文学博士号取得。東京高等師範学校教授、東京文理科大学教授を経て、日本大学教授、玉川大学学長となる。1936年(昭和11)田中B式知能検査を作成、それを用いて欧米・東洋の諸民族の知能の比較研究を行った。田中教育研究所を主宰し、『田中・びねー式知能検査法』(1947年、1954年改訂)をはじめ種々のテストを公刊。1960年(昭和35)文化功労者に選ばれた。ほかに『B式知能検査法指針』(1936)などがある。
[宇津木保]
『『田中・びねー式知能検査法』(1954・日本文化科学社)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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田中 寛一
タナカ カンイチ
大正・昭和期の教育心理学者 田中教育研究所所長;日本大学文学部教授。
- 生年
- 明治15(1882)年1月10日
- 没年
- 昭和37(1962)年11月12日
- 出生地
- 岡山県
- 学歴〔年〕
- 京都帝大文科大学哲学科〔大正2年〕卒
- 学位〔年〕
- 文学博士
- 主な受賞名〔年〕
- 文化功労者〔昭和35年〕
- 経歴
- 大正8年東京高等師範学校教授、昭和4年東京文理大教授。教育測定、知能について研究を進め、田中ビネー式知能検査法、田中B式知能検査法などを普及させた。戦後23年田中教育研究所を設立、所長に就任。日大文学部教授、玉川大学長も務めた。著書に「人間工学」「教育測定学」「教育的統計法」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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田中寛一 たなか-かんいち
1882-1962 大正-昭和時代の教育心理学者。
明治15年1月20日生まれ。東京高師,東京文理大,日大の教授を歴任。昭和23年田中教育研究所を設立し,所長。「田中ビネー式知能検査法」などを作成した。35年文化功労者。昭和37年11月12日死去。80歳。岡山県出身。京都帝大卒。著作に「教育的測定学」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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田中 寛一 (たなか かんいち)
生年月日:1882年1月20日
大正時代;昭和時代の教育心理学者。田中教育研究所所長;日本大学教授
1962年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の田中寛一の言及
【学力テスト】より
…例えば彼が初めて作成した客観的テスト(書き方考査尺度,1910)以降,1928年には,アメリカで標準化されたテストは約1300種,40年には2600種にもなった。日本においては,大正から昭和にかけてその研究が盛んになり,田中寛一の《算数計算問題基準》《算数応用問題の考査基準》《国語書き取り成績の考査基準》などはその代表的なものである。 学力テストは,教師作成テストと標準学力テストに二分される。…
※「田中寛一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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