心理学者。群馬県高崎市出身。松本家の養子となる。東京帝国大学卒業、大学院に進む。元良勇次郎(もとらゆうじろう)の弟子。アメリカの心理学者ラッドGeorge T. Ladd(1842―1921)の手引きでエール大学に留学、スクリプチャーEdward W. Scripture(1864―1945)に就いて実験心理学を学び助手を務めた。帰途ライプツィヒでW・ブントに学ぶ。帰朝後、東大講師、東大心理学実験室の創設(1903)に尽力、京都帝国大学時代(1906~1913)にも実験室を創設した。元良教授の急逝により東大教授(1913~1925)となり、のち日本心理学会会長(1927~1943)。早くから心理技術者の養成に関心をもち、軍事、産業、教育、芸術、司法、航空など多方面にわたる心理学の応用および指導者の養成に貢献した。日本心理学の土台を築いた人の一人。彼が主張した「精神動作学」は、人間を精神身体的存在としてとらえ、精神の現れとしての身体的変化を研究する行動の科学である。多数の著書がある。
[宇津木保]
明治〜昭和期の心理学者 東京帝国大学名誉教授。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
心理学者。1893年東京帝国大学卒業後,アメリカのイェール大学およびドイツのライプチヒ大学のブントのもとに留学。1900年東京高等師範学校および東京女子高等師範学校教授,06年京都帝国大学教授,13年東京帝国大学教授。27年日本心理学会を設立し会長となった。奉職した各大学に心理学実験室を開設し,ブントの実験心理学を伝え,多くの門弟を養成した。業績は多方面にわたり,知能や素質に関する研究,またとくに絵画の心理学的研究がある。著書に《実験心理学十講》(1914),《心理学講話》(1923),《知能心理学》(1925),《絵画鑑賞の心理》(1926)などがある。
執筆者:児玉 憲典
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