改訂新版 世界大百科事典 「田中新兵衛」の意味・わかりやすい解説 田中新兵衛 (たなかしんべえ)生没年:?-1863(文久3) 幕末の暗殺者。鹿児島城下の薬種商出身。薩摩藩誠忠組の森山新蔵に感化され,1862年(文久2)に脱藩上京し,尊攘派志士と交わる。同年7月20日に佐幕派の奸物とみた島田左近を暗殺して名をあげた。のち土佐勤王党にも加わる。翌年5月20日に尊攘派公卿姉小路公知が京都朔平門外で暗殺されたとき,その現場に残された刀から犯人の嫌疑をかけられ,捕らわれると自殺した。執筆者:高木 俊輔 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中新兵衛」の解説 田中新兵衛 たなか-しんべえ 1841-1863 幕末の武士。天保(てんぽう)12年生まれ。薩摩(さつま)鹿児島藩士。薬種商の子とも船頭の子ともいわれる。示現流剣法の達人。文久2年京都におもむき,尊攘(そんじょう)派を弾圧した九条家家臣の島田左近を暗殺,「天誅(てんちゅう)」のはじめとなる。文久3年姉小路公知(きんとも)殺害の嫌疑でとらえられ,5月26日京都町奉行所で自刃した。23歳。名は雄平。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by