20世紀日本人名事典 「田中緑紅」の解説 田中 緑紅タナカ リョツコウ 大正・昭和期の郷土史家 生年明治24(1891)年1月12日 没年昭和44(1969)年4月22日 出生地京都府京都市 本名田中 俊次 学歴〔年〕京都一中中退 経歴代々、京都・九条家の御典医を務める家柄に生まれる。京の伝説や風俗に興味を持ち、市井の郷土史家として、京の町々に埋もれる民俗を丹念に発掘。50年がかりで執筆した「緑紅叢書」(全50巻)は京の百科事典と称され、当時の風俗や民衆の姿を伝える貴重な資料となった。一方、大衆芸能をこよなく愛し、日本画家・堂本印象の兄・寒星らとともに析の音会を結成、芸能文化を紹介した。また、京を語る会を主宰する傍ら、卓球やボウリング選手として活躍するなど、多方面でその才能を発揮した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中緑紅」の解説 田中緑紅 たなか-りょっこう 1891-1969 大正-昭和時代の郷土史家。明治24年1月12日生まれ。田中泰輔の子。明石国助とともに郷土史,民俗学を研究。大正6年郷土趣味社を創立し,雑誌「郷土趣味」を発行。また「京を語る会」などを主宰。京都府風致審議会委員をつとめた。昭和44年4月22日死去。78歳。京都出身。本名は俊次。著作に「緑紅叢書」「京の面影」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by