田出井山古墳(読み)タデイヤマコフン

デジタル大辞泉 「田出井山古墳」の意味・読み・例文・類語

たでいやま‐こふん【田出井山古墳】

反正天皇陵古墳

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「田出井山古墳」の解説

田出井山古墳
たでいやまこふん

[現在地名]堺市北三国ヶ丘町二丁

反正天皇陵に治定される。旧長尾街道の南側、標高一四―一六メートルの中位段丘西斜面に築造された前方後円墳。百舌鳥もず古墳群のなかでは最も北に位置する。墳丘長一四八メートル、前方部幅一一〇メートル、後円部径七六メートル。宝暦七年(一七五七)刊の「全堺詳志」に「御廟は北峯にあり、発掘したる跡と見えて、南北五間半、東西四間半、深さ一間余の窪あり、唐櫃は不見」とあり、当時すでに盗掘されていたことが知られる。昭和五五年(一九八〇)古墳東側部分の調査が行われた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「田出井山古墳」の解説

たでいやまこふん【田出井山古墳】


大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町にある古墳。百舌鳥(もず)古墳群の北端にあり、宮内庁が仁徳(にんとく)天皇の第3皇子、反正(はんぜい)天皇陵として治定(じじょう)している。陵名は百舌鳥耳原北陵(もずのみみはらのきたのみささぎ)。前方部を南に向けた全長約148mの前方後円墳で、後円部径は約76m、高さ約14m、前方部の幅約110m、高さ約15mで、墳丘は3段に築かれ、出土した埴輪(はにわ)などから5世紀後半に造られたと考えられる。前方部外周で行われた発掘調査によって、かつては2重の濠があったことが確認されている。仁徳天皇陵大仙陵古墳)や履中(りちゅう)天皇陵(上石津ミサンザイ古墳)に比べると、規模がかなり小さいことから反正天皇陵とすることに疑問の意見もある。南海電鉄高野線堺東駅から徒歩約3分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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