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田原良純 たわら よしずみ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

田原良純 たわら-よしずみ

1855-1935 明治-昭和時代前期の薬学者。
安政2年7月4日生まれ。内務省東京司薬場でエイクマンにまなび,明治20年東京衛生試験所長となる。フグの毒を卵巣からはじめて抽出,テトロドトキシンと命名し,フグ毒の化学的研究に貢献した。大正10年学士院賞。昭和10年6月3日死去。81歳。肥前佐賀郡出身。東京大学卒。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

田原良純

没年:昭和10.6.3(1935)
生年:安政2.7.6(1855.8.18)
明治大正期の薬学者。佐賀藩士の長男に生まれ,同藩貢進生として大学南校ドイツ語科に学ぶ。のち転学して明治14(1881)年東大製薬学科第3期生として卒業。内務省司薬場に勤務し,同20年所長となる。同23年4月~同26年6月までドイツ留学,同27年にはハンガリーブダペストで行われた万国衛生会議に出席,帰国後所長に復職した。特に薬化学に業績を残し,同42年からフグ毒の研究を始め,大正1(1912)年フグの卵巣から毒素を抽出することに成功し,この毒素をテトロドトキシンと命名した。

(宗田一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

田原良純
たわらよしずみ
(1855―1935)

薬学者。佐賀出身。南校(東京大学の前身)を経て1881年(明治14)東京大学製薬学科(現、薬学部)卒業。同年内務省東京司薬場に入り、エイクマンの下で衛生試験・食品分析を学び、国民栄養基準を設定した。1884年フグ毒研究に着手。1887年改組の衛生試験所長となりドイツ留学、植物成分合成と構造研究に先鞭(せんべん)をつける。1897年、公害の原点となった足尾銅山鉱毒事件は数万の住民が飢餓に瀕(ひん)する社会問題に発展した。政府の命で彼は自ら現地に赴き精密な分析結果を報告した。1899年薬学博士。1909年(明治42)フグ毒成分の結晶を抽出、テトロドトキシンと命名し、医療に供す。フグ毒の化学的研究の先駆で、本研究により1921年(大正10)帝国学士院賞受賞。第一次世界大戦の輸入薬品欠乏に際し製薬の工業化に貢献した。日本化学会会長、日本薬学会副会頭、日本薬局方主査委員、帝国学士院会員などを歴任した。[根本曽代子]

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世界大百科事典内の田原良純の言及

【フグ(河豚)】より


[フグ毒]
 フグは数多い魚の中でも特別の珍味とされているが,ときにはこれを食べて中毒を起こし,死に至ることがある。この毒は田原良純により初めて卵巣から抽出され(1912),テトラドトキシン(現在はテトロドトキシンtetrodotoxin)と命名されたが,その後津田恭介によりC12H19O9N3なる分子式ときわめて特異な構造式が明らかにされた(1962)。これは一種の神経毒で,知覚および運動の麻痺を起こし,重症の場合は呼吸麻痺により死に至る。…

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