田原良純(読み)たわらよしずみ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「田原良純」の意味・わかりやすい解説

田原良純
たわらよしずみ
(1855―1935)

薬学者。佐賀出身。南校(東京大学の前身)を経て1881年(明治14)東京大学製薬学科(現、薬学部)卒業。同年内務省東京司薬場に入り、エイクマンの下で衛生試験・食品分析を学び、国民栄養基準を設定した。1884年フグ毒研究着手。1887年改組の衛生試験所長となりドイツ留学、植物成分合成と構造研究に先鞭(せんべん)をつける。1897年、公害原点となった足尾銅山鉱毒事件は数万の住民が飢餓に瀕(ひん)する社会問題に発展した。政府の命で彼は自ら現地に赴き精密な分析結果を報告した。1899年薬学博士。1909年(明治42)フグ毒成分の結晶抽出テトロドトキシンと命名し、医療に供す。フグ毒の化学的研究の先駆で、本研究により1921年(大正10)帝国学士院賞受賞。第一次世界大戦の輸入薬品欠乏に際し製薬の工業化に貢献した。日本化学会会長、日本薬学会副会頭、日本薬局方主査委員、帝国学士院会員などを歴任した。

[根本曽代子]

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関連語 学位 学歴

20世紀日本人名事典 「田原良純」の解説

田原 良純
タワラ ヨシズミ

明治・大正期の薬学者 東京衛生試験所所長。



生年
安政2年7月6日(1855年)

没年
昭和10(1935)年6月3日

出生地
肥前国(佐賀県)

学歴〔年〕
東京大学医学部製薬学科〔明治14年〕卒

学位〔年〕
薬学博士〔明治32年〕

主な受賞名〔年〕
帝国学士院桂公爵記念賞〔大正10年〕「河豚毒素の研究」

経歴
内務省に入り、東京司薬場に勤務。のち東京衛生試験所兼内務技師、同所検明部長を経て、明治20年同所長となる。23年在官のままドイツへ留学、薬学、化学を研究し、かつ欧州各国の衛生事業を巡視した。以後、東京衛生試験所長の傍ら、専売特許局技師、内務技師を兼務、他に日本薬局方調査会委員、中央衛生会委員などを歴任した。フグ毒を初めて卵巣から抽出し、“テトロドトキシン”と命名したことで知られる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田原良純」の解説

田原良純 たわら-よしずみ

1855-1935 明治-昭和時代前期の薬学者。
安政2年7月4日生まれ。内務省東京司薬場でエイクマンにまなび,明治20年東京衛生試験所長となる。フグの毒を卵巣からはじめて抽出,テトロドトキシンと命名し,フグ毒の化学的研究に貢献した。大正10年学士院賞。昭和10年6月3日死去。81歳。肥前佐賀郡出身。東京大学卒。

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367日誕生日大事典 「田原良純」の解説

田原 良純 (たわら よしずみ)

生年月日:1855年7月6日
明治時代;大正時代の薬化学者。東京衛生試験所所長
1935年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の田原良純の言及

【フグ(河豚)】より


[フグ毒]
 フグは数多い魚の中でも特別の珍味とされているが,ときにはこれを食べて中毒を起こし,死に至ることがある。この毒は田原良純により初めて卵巣から抽出され(1912),テトラドトキシン(現在はテトロドトキシンtetrodotoxin)と命名されたが,その後津田恭介によりC12H19O9N3なる分子式ときわめて特異な構造式が明らかにされた(1962)。これは一種の神経毒で,知覚および運動の麻痺を起こし,重症の場合は呼吸麻痺により死に至る。…

※「田原良純」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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