田川鳳朗(読み)たがわほうろう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「田川鳳朗」の意味・わかりやすい解説

田川鳳朗
たがわほうろう

[生]宝暦12(1762).熊本
[没]弘化2(1845).11.28. 江戸
江戸時代後期の俳人本名,義長。通称,東源。別号,対竹,鶯笠,自然堂,藍蓼庵,京陵。初め熊本の綺石に,のち江戸に出て鈴木道彦に学んだ。天保三大家の一人。編著『正風俳諧芭蕉葉ふね』 (1817) ,『自然堂千句』 (35) ,『鳳朗発句集』 (49) ,『蕉門俳諧師説録』 (62) など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田川鳳朗」の解説

田川鳳朗 たがわ-ほうろう

1762-1845 江戸時代後期の俳人。
宝暦12年生まれ。寛政10年肥後熊本藩士を辞し,諸国遊歴。江戸で俳諧(はいかい)師になり,真正芭蕉(ばしょう)風をとなえる。成田蒼虬(そうきゅう),桜井梅室とともに天保(てんぽう)三大家と称された。弘化(こうか)2年11月28日死去。84歳。名は東源,義長。別号に対竹,自然堂,芭蕉楼など。編著に「芭蕉葉ふね」「蕉門俳諧師説録」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の田川鳳朗の言及

【鳳朗】より

…江戸後期の俳人。姓は田川,名は東源,また義長。別号は対竹,鶯竹,芭蕉楼など。熊本の人。父鼎山や久武綺石に早くから俳諧を学び,京陵と号し,江戸に出て道彦(みちひこ)に従って鳳朗と改めた。蒼虬(そうきゆう),梅室とともに天保三大家の一人。野心家で統率力にたけ,大名や多くの貴顕をも門下に擁し,晩年二条家から〈花の本翁〉の称号を受けた。《芭蕉葉ぶね》を著して芭蕉の人格を目ざす俳諧を提唱。作品はやや詩情を欠き,理屈や小主観に堕して俗臭をとどめるが,かえってそれが江戸趣味の気風に通い,大衆に迎えられた。…

※「田川鳳朗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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