桜井梅室(読み)サクライバイシツ

デジタル大辞泉 「桜井梅室」の意味・読み・例文・類語

さくらい‐ばいしつ〔さくらゐ‐〕【桜井梅室】

[1769~1852]江戸後期俳人加賀の人。名は能充。高桑闌更たかくわらんこう門下。著「梅室附合集」「梅林茶談」など。

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精選版 日本国語大辞典 「桜井梅室」の意味・読み・例文・類語

さくらい‐ばいしつ【桜井梅室】

  1. 江戸後期の俳人。名は能允。金沢の人。高桑闌更(たかくわらんこう)に師事し、巧緻技法天下名声を知られたが、作風はいわゆる月並み調と評されている。明和六~嘉永五年(一七六九‐一八五二

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「桜井梅室」の解説

桜井梅室 さくらい-ばいしつ

1769-1852 江戸時代後期の俳人。
明和6年11月27日生まれ。桜井能監(よしかた)の父。刀研(かたなとぎ)師をしながら上田馬来に俳諧(はいかい)をまなび,寛政12年槐庵をつぐ。成田蒼虬(そうきゅう)に兄事し,嘉永(かえい)4年「花の下(もと)宗匠」の称号をえた。嘉永(かえい)5年10月1日死去。84歳。加賀(石川県)出身。名は能充。別号に雪雄,素芯,素信,方円斎など。句集に「梅室両吟集」「梅室家集」など。
格言など】桐の木や雨のながるる蝉の腹(「梅室家集」)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「桜井梅室」の意味・わかりやすい解説

桜井梅室
さくらいばいしつ

[生]明和6(1769).11.27. 金沢
[没]嘉永5(1852).10.1. 京都
江戸時代後期の俳人。幼名,次郎作。名,能充。別号,雪雄,素芯,素信,方円斎,陸々山人。京都から江戸,さらに京都に移り住む。「花の本 (もと) 宗匠」の称を得,作法を簡略化して衆俗に迎合する傾きがあった。

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367日誕生日大事典 「桜井梅室」の解説

桜井梅室 (さくらいばいしつ)

生年月日:1769年11月27日
江戸時代中期;後期の俳人
1852年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「桜井梅室」の意味・わかりやすい解説

桜井梅室
さくらいばいしつ

梅室

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世界大百科事典(旧版)内の桜井梅室の言及

【梅室】より

…江戸後期の俳人。姓は桜井,名は能充。幼名は次郎作。初号は雪雄,別号は素蕊(信),方円斎,陸々など。金沢の人。刀研師として加賀藩に仕える。希因門の父雪館に就いて幼時より俳諧に遊ぶ。16歳のころ闌更の門に入り,のち師から槐庵の号を得た。致仕後京に出て俳諧に励み,1834年(天保5)ころまでの10余年間,抱儀の招きで江戸に住む。のち京に戻って定住し,風交を広め,貴顕と交わり,51年(嘉永4)に二条家から〈花の下(もと)〉宗匠の称号を贈られた。…

※「桜井梅室」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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