鈴木道彦(読み)すずき・みちひこ

朝日日本歴史人物事典 「鈴木道彦」の解説

鈴木道彦

没年:文政2.9.6(1819.10.24)
生年:宝暦7(1757)
江戸後期の俳人。名は由之別名,三千彦,金令舎ほか。仙台の人。代々医者の家に生まれる。少年時代から俳諧に親しみ,加舎白雄奥羽を行脚した際,門人となる。白雄没後,江戸に出て医を業とするかたわら,建部巣兆,夏目成美,井上士朗らと親交し,化政期江戸俳壇において最大の勢力を誇った。『むくてき』(1798)で与謝蕪村ら天明七名家を酷評する自信を見せたが,晩年はその勢力も衰え,白川芝山著の『高館俳軍記』(1818?)で論難された。主著は『道彦七部集』(1830)に収録。<参考文献>鈴木勝忠「鈴木道彦」(明治書院『俳句講座』3巻)

(加藤定彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鈴木道彦」の意味・わかりやすい解説

鈴木道彦
すずきみちひこ

[生]宝暦7(1757).仙台
[没]文政2(1819).9.6. 江戸
江戸時代後期の俳人。本名,由之。別号,金令舎,十時庵,藤垣庵。加舎白雄 (かやしらお) 門。江戸に出て医を業とした。才気煥発で政治的才能にすぐれ,一大勢力を得,夏目成美,建部巣兆とともに文化文政期江戸俳壇の三大家。作風は平板,浅俗。編著『無孔笛 (むくてき) 』 (1798) ,『蔦本 (つたのもと) 集』 (1813) など。妻の応々尼も俳諧をたしなんだ。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鈴木道彦」の解説

鈴木道彦(1) すずき-みちひこ

1757-1819 江戸時代後期の俳人。
宝暦7年生まれ。陸奥(むつ)仙台の人。医を業とし,かたわら俳諧(はいかい)を加舎白雄(かや-しらお)にまなぶ。師の没後,江戸俳壇の有力者となった。句集に「蔦本(つたのもと)集」など,選集に「道彦七部集」(妻の応々編)がある。文政2年9月6日死去。63歳。名は由之。別号に金令舎,十時(ととき)庵など。
【格言など】家二つ戸の口見えて秋の山(「蔦本集」)

鈴木道彦(2) すずき-みちひこ

1929- 昭和後期-平成時代のフランス文学者。
昭和4年4月26日生まれ。鈴木信太郎の子。一橋大教授,のち平成元年独協大教授。サルトルの研究で知られる。8年からプルースト「失われた時を求めて」の個人全訳を刊行し,13年完結(読売文学賞)。東京出身。東大卒。著作に「サルトルの文学」「アンガージュマンの思想」「越境の時」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の鈴木道彦の言及

【道彦】より

…江戸後期の俳人。姓は鈴木,名は由之。別号は金令舎,十時庵など。仙台藩医の子。江戸にて医を業とし,俳諧を白雄(しらお)に学ぶ。師の没後春秋庵の継承に失敗したが,政治的手腕を発揮してその筆頭に納まる。また江戸の人々はもとより,地方俳士にまで交流を広げ,当代第一人者の地位を築いた。《無孔笛》を著して中興の諸大家を酷評し,師の白雄をも難じた血気盛んな人物である。論敵も多く,晩年その非難を受けた。俳諧は趣向を重視し,新奇を求めて技巧に走り,平俗に傾いて天保の月並調に通じる。…

※「鈴木道彦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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