甲浦城跡(読み)かんのうらじようあと

日本歴史地名大系 「甲浦城跡」の解説

甲浦城跡
かんのうらじようあと

[現在地名]東洋町甲浦

西股にしまた背後古城こじよう山にあった城で、城主は惟宗出羽守または山崎出雲と伝える。戦国時代甲浦は野根のね郷の惟宗氏の支配下にあり、惟宗氏は河内かわうち八幡宮や甲浦熊野神社の棟札に地頭として名がみえる。当城はその一族か部将の城であったと思われる。天正三年(一五七五)七月、野根城が長宗我部元親の部将桑名丹後守の奇襲を受けると、城主惟宗国長は「麓より甲浦さして逃げ退く(中略)甲浦の者どもも皆聞き落ちにして、扨甲浦の城普請して丹後の子将監城を預かる。阿州分へ退きたる町人ども皆帰住す」と、「元親記」はあっけない城主交替の模様を伝えている。

桑名将監が城を預かってから一四年、天正一七年の甲浦地検帳には「古城之中」として「奥宮蔵人居タル段」(二〇代)・「久武彦衛門尉居タル段」(六代)・「詰之段」(六代四歩)・「東森之段」(一三代)・「吉松孫右衛門居タル段」(二五代)とあるが、その大部分は「下屋敷荒」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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