日本歴史地名大系 「甲浦城跡」の解説
甲浦城跡
かんのうらじようあと
[現在地名]東洋町甲浦
桑名将監が城を預かってから一四年、天正一七年の甲浦地検帳には「古城之中」として「奥宮蔵人居タル段」(二〇代)・「久武彦衛門尉居タル段」(六代)・「詰之段」(六代四歩)・「東森之段」(一三代)・「吉松孫右衛門居タル段」(二五代)とあるが、その大部分は「下屋敷荒」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
桑名将監が城を預かってから一四年、天正一七年の甲浦地検帳には「古城之中」として「奥宮蔵人居タル段」(二〇代)・「久武彦衛門尉居タル段」(六代)・「詰之段」(六代四歩)・「東森之段」(一三代)・「吉松孫右衛門居タル段」(二五代)とあるが、その大部分は「下屋敷荒」とある。
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